濃い上司と薄い部下-2
(元締めって……支店長さんみたいなものかな?)
馴染みのない言葉を、ディーナはそう解釈した。
ディーナの知る限りでアルジェント貿易と言えば、ごくまっとうな商売を行っている善良な貿易会社だ。
カミルは酒も飲めるらしいが、もっぱら家で飲むのは茶を好むので、ディーナはこの街にあるアルジェント貿易の大きな酒屋には、特に行ったことがない。
それでも自然と耳に入る有名な名前の上に、創立者である侯爵は、貴族の身分でありながら労働を恥じることなく懸命に働き、傾いていた家を再建したとも聞いて感動したものだ。
そんな立派な会社の支店を任される人間ともあろう者が、なぜ見も知らぬ小娘を相手に、こんな誘拐じみた事をするのだろうか?
しかも、ナザリオのかもしだす雰囲気は、貿易店の支配人というよりも、街で時おり見かけるような、いわゆる『ヤクザもの』と呼ばれる類の方に似ている気がする。
どう反応を返していいのか判りかねてしまい、ディーナが困惑顔で黙っていると、ナザリオが几帳面に整えた濃い眉をひそめた。
「やけに反応が薄いじゃないか。お前の雇い主が中立に近い立場ってことで、安心だとタカをくくってるのか」
「旦那さまが……? 中立って、なんのことですか?」
またもや、完全にわけの解らない言葉に聞き返すと、ナザリオがいっそう顔をしかめた。
「おいおい。念のために確認するが、お前は武具師の吸血鬼の所にいる小間使いで間違いないな? バロッコの養女、ディーナ・キャンベルだろうが?」
ナザリオの口から飛び出た忌まわしい養父母の名が、ディーナを一瞬凍りつかせた。声も出せないまま長椅子の上で硬直していると、ナザリオがすっと眼を細めて睨んでくる。
「俺の質問には、すぐ答えろ」
凄むような低い声に急かされ、ガチガチと歯の根を鳴らしながら黙って小さく頷いた。
「――お話中にすみません、元締め」
唐突に、ディーナの背後から控えめな男の声が聞こえた。
飛び上がらんばかりにディーナが振り向くと、ナザリオより少し若そうな青年が、長椅子の後ろにいつのまにか立っていた。
部屋の扉はナザリオの後ろにあるだけだから、黒いカッチリした上着とズボンに身を包んだ細身の青年は、最初から室内にいたのだろう。
さっき部屋を見渡したはずなのに、まるで存在に気づかなかった。
すぐに忘れてしまいそうな印象の薄い顔立ちや、抑揚の感じない静かな声は、容姿も口調も全体的に濃く強い感じのナザリオとは、どこまでも対照的だ。
真昼の亡霊のごとく影の薄い青年は、ナザリオに鋭い視線を向けられるのを待ってから、再び口を開いた。
「おそらく彼女は、我々や夜猫の実情を、何も聞かされていないんじゃないでしょうか」
青年の口元に浮かんだ薄笑いに、ディーナはゾワリと鳥肌がたった。威圧的なナザリオも十分に怖かったが、この青年からはまた別種類の悪寒がする。上手く表現できない、なんとも言えぬ薄気味悪さだ。
「ねぇ、君?」
青年の痩せた手がポンと肩に置かれ、ディーナは思わず「ひっ」と、喉を鳴らしてしまった。
「君はカミルが夜猫商会に金を払って、この地での平穏を買っているのを、知らないんじゃないのかな?」
「っ……え? 夜猫……? 買うって、あの……お茶菓子なら時々、買いますけど……? 旦那さま、甘いものが結構お好きなので……」
青年の言う夜猫商会が、ディーナの知っている夜猫商会と同じなら、アルジェント貿易と同じくらい有名なお菓子屋さんのはずだ。
元々は『夜猫菓子店』という王都のお菓子屋さんだったらしいが、王家の御用達となってから一挙に名を広めた。今では国でも有数の大商会として、あちこちに支店を開いている。
更には菓子店だけではなく、食事が美味しい宿なども経営しているそうだ。
リアンが滞在している彩花亭も、夜猫商会の一部だと聞いた。
ディーナもお菓子くらい作れるが、とてもあそこの味には敵わないし、特に一般家庭では作るのが難しいバウムクーヘンなどは、時おりお茶菓子にお使いを頼まれる。
戸惑いも露なディーナの返答を聞くと、ナザリオはあからさまに苛立たしげな溜め息をついたが、反して青年は薄笑いをさらに深くした。
「武具師は彼女を、夜の空気からも遠避けて、大事に大事に囲っていたというわけですよ。それだけ溺愛されている証拠ですし、結構なことじゃないですか」
「……え?」