収穫祭-1
ディーナの故郷である農村地帯でも、年に一度は各地の村を持ちまわりして会場にし、賑やかな合同の祭りが開かれたものだ。
だが、それほど身体が丈夫でなかった母は、夜に他の村まで祭りに出かける自信がなかったようで、父も無理に行こうとはしなかった。
ディーナがもう少し大きくなる頃には、この村に祭りの順番がくるから、その時に三人で行こうと言ってくれた。
しかし、それからほどなくして、両親は多額の負債を抱えた末に、身体を壊して世を去り、ディーナはバロッコ夫妻に引き取られることとなった。
人使いの荒い夫妻も、さすがに祭りの夜だけは使用人たちに休みをやっていたが、ディーナはいつも留守番を命じられていた。
どのみち、祭りに着る綺麗な服も、屋台で買い物をする銅貨の一枚も持ってないのだから、留守番で構わないだろうと言われれば頷くしかなかったし、事実でもあった。
薄汚れたボロボロの古着は、お使いのたびに村の子たちから笑いものにされる。
どんなに働こうと、ディーナは使用人ではなく夫妻の養女だから、お給金を貰えるはずもない。
楽しそうに出かけていく他の人たちを、いつも黙って見送っていた。
わざわざ惨めな思いをしに出かけるよりも、ゆっくり寝て休める方がずっと良い……そう自分に言い聞かせ、無縁なものだと割り切った。
―― それが、今夜は違う。
生まれて初めて見るお祭りの景色に、ディーナは声も出せずに立ち尽くしていた。緑色の大きな瞳が、零れ落ちそうなほど見開かれる。
街の大通りは、晴れ着で身を飾った人々で埋め尽くされていた。
頭上には祭り用の飾りランタンが無数に飾り付けられ、どの窓からも収穫祭を祝う旗や飾りが下げられている。
道の両脇には、夜店の屋台がズラリと並び、客引きに一生懸命だ。
景品を掲げた簡単なゲームを楽しむ店や、珍しい小物を売る店もあるが、収穫祭だけあって食べ物の店が特に多い。
山盛りにされた瑞々しい果物に、ジュウジュウと脂のしたたる串焼き肉、香ばしく焙られた焼き魚。綿雲のようにふわふわした砂糖菓子の屋台には、女性や子どもが特に集まっていた。
どこを向いても、美味しそうな食べ物や綺麗なものばかり。誰もが楽しげに笑いあい、祭の夜を喜んでいる。
あまりの素晴らしさに、ディーナは大通りのほんの入り口で足を止めたまま動けなくなってしまった。
今日の夕食は屋台の軽食だから、食べたいものを見つけて言えと言われたけれど、胸がいっぱいで何も喉を通りそうにない。
屋台は収穫祭でなくても、多少はいつも通りに出ているし、街の人々が収穫祭の飾りつけ準備をしている姿だって、買い物ついでに眺めたものだ。
金色を帯びた秋の陽射しの中で、だんだんと出来上がっていく祭りの飾りつけを見るだけでも十分に楽しかった。神殿前のやぐらを眺めて、それが燃える姿を想像したりもした。
しかし、完成されたその飾り付けが、夜闇の中で色とりどりの光りに照らされている景色は、空想より万倍も素晴らしかった。
素敵過ぎて怖いほどで、思わずカミルの手を思わず握り締めると、低い声が頭上から降ってきた。
「……お前が祭りに行きたいと気づければ、もっと早く連れてきたんだが」
思わぬ言葉に、ディーナは慌てて首を降った。
「い、いえっ! だって私が、ちゃんと言わなかったんですし……」
カミルは優しくて、とても誠実な雇い主だ。
人を雇ったことなど無いからよく解らんと言いつつ、住み込み使用人の給金相場や、月に何度かの外出休みや里帰り用の休暇があることなどを、どこかから調べてきては、きちんと全部くれた。
もっともディーナには帰る実家もなく、カミルの他に休日を一緒に楽しみたい相手もなかったから、お休みにも家で変わらずに過ごしていたけれど。
でも、それは自分が好きでそうしているのだし、誠実に接して貰えている事実が何よりも嬉しいのだ。
だからきっと、カミルがお祭りについて何も言わないのは、使用人たちがお祭りの夜に休みを貰うことを、単に知らないだけだとは思っていた。
そもそも彼自身からして、どのお祭りにもまるで無関心なのだから、知らなくても不思議はない。
もし、どこかで彼がそれを知るか……もしくは、ディーナがお祭りに行きたいと、きちんと頼めば、彼は自分が祭りに興味がなくても行かせてくれるだろうと思っていた。
――思いつつも、ディーナが言えなかっただけなのだ。
言おうとするたびに、昔の惨めな思いが蘇り、自分がお祭りに行きたいなどと、大それた望みのように思えてしまう。
お給金も、綺麗な服もちゃんと貰っているのに、祭りという華やかな場へ行くのに、自分は到底相応しくないような気がして、結局は何も口にできないままだったのだ。