心臓の奥-3
今すぐ、無理やりにディーナの視線を自分へ向けさせ、そのまま魅了の魔法をかけて、すっかり壊しつくしてやりたい程だ。
そうだ、そうしてやればいい。
ディーナは何も考えずに、ただカミルだけを見るようになって、カミルと同じように誰も愛したりできなくなる……。
不意に、周囲の景色が解け崩れて、暗い森林の中にいるような錯覚を覚えた、
鬱蒼と針葉樹が生い茂り、濃い霧が年中立ち込めている、昼でもなお陽の差さぬ黒い森。
カミルが生まれた……吸血鬼の故郷だ。
―― 吸血鬼に、他種族との同調など必要ない。欲しい者があれば、己に魅了させてかしづかせるまでだ。我々こそが、それが出来る力を持った、唯一の種族なのだから。
遠い昔に道を分った同族の声が、すぐそこで叫ばれているような鮮やかさで脳裏に響く。
両眼がじわりと熱くなり、真紅の瞳が魔力を蓄え始めた。
―― ほら、何を躊躇う必要がある? 心をかき乱されて悩むなど、屈辱ではないのか?こんな下等な……
「……っ」
カミルは大きく息を吐き、両眼の魔力を散らした。そしてディーナを見据えて、きっぱりと断言する。
「駄目だ。こいつと行くのは許さん」
それを聞くと、ディーナの表情が僅かな落胆に染まった。
それでも文句一つ言わず、すぐに悲しそうな微笑を浮かべて従順に頷く。
「はい」
反してリアンの方は、激昂を隠そうともしなかった。
「おい、祭りにも行かせないって酷すぎるだろ! あんたは吸血鬼の中じゃマシだと思ってたのに、見損なった!」
今にも半獣になりそうな勢いで怒鳴るリアンを、カミルはジロリと一瞥した。
「お前に見損なわれようと一向に構わんがな、誤解をするな。収穫祭に行かせないとは言ってないぞ」
「へ……?」
唖然とするリアンからさっさと離れて、カミルはディーナの前に立つ。
「あの、旦那さま……?」
困惑顔で立ち尽くしているディーナの頭を、グリグリと撫でた。
魔力も持たないし寿命も短く脆弱だけれど、絶対に下等なんかではない種族で……その中でもとりわけ美しく、カミルの方こそすでに魅了されてしまった相手を。
「お前は、俺に仕えているんだろうが。行きたい所があるなら、コイツじゃなくて俺に言え。日が暮れたら、一緒に収穫祭に行くぞ」
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―― 結局、扉の取っ手は無残に壊される運命となった。
「ちょ……っ、卑怯者! 俺に言われるまで気がつかなかったクセに、横取りする気かよ! ディーナは俺と一緒に行くの!」
そう激しく抗議したリアンを、カミルがかなり苦労した末に追い返したからだ。取っ手はその際に哀れ、犠牲となった。
もっとも……
「仕方ねーな。じゃぁディーナ、後で会おう!」
リアンは去り際にそう叫んでいたから、自慢の嗅覚を使って収穫祭でディーナを見つける気なのだろう。
そして、見つけただけで引き下がるはずもないのは目に見えている。
(――そう思い通りにさせるか、馬鹿力のガキが)
カミルは壊れた取っ手を握り、胸中で唸りる。
収穫祭に行くとはいえ、特に着飾る気もなく、普段着にいつもの黒いマントを羽織るつもりだが、武装だけはとびきり入念にしておこうと、固く決意した。
板挟みだったディーナは、複雑そうな顔をしてリアンを見送っていたものの、気を取り直したらしく朝食の後片付けを再開している。
手際よく食器を洗っているディーナの後姿に、カミルはそっと視線を向けた。
正直に言えば、リアンを通じてディーナの本音を告げられるなど、非常に不愉快極まりない。
しかし、カミルにも問題があったことは確かだ。
それに、八日前といい昨夜といい、ディーナへことさら酷い扱いをしてしまっている自覚もある。
直接に手をあげずとも、あれでは暴力を振るっているも同然だ。
ディーナは何も悪くないのに。
愛などという、己には扱いかねる代物に憧れた末に、それが手に入らずに荒れて八つ当たりをするなど、愚かで醜悪にもほどがある。
とにかくディーナはここに……カミルの元に留まっているのだし、それで満足するべきだ。
余計なものなど欲しがらず、以前のように接すればいい。
そうすれば、この胸を刺す痛みにも次第に慣れて、平然と受け流せるようになるだろう。
もうずっと昔、同族たちと分かり合えぬと思い知った末、黒い森を捨て去った時のように……。
カミルは小さく息を吐いて考えをまとめ、扉の取っ手を作り直すべく、鍛冶場へと向った。
気分転換の為にも、ディーナを労る意味でも、収穫祭に行くのはちょうど良かったのかもしれない。