ガラス玉とダイヤモンド-3
***
(旦那さま。解らないって、何のことだろ……?)
暗い寝室の中で、ディーナは困惑する。
鎧戸を閉めてランタンを消してしまえば、月光も差しこまぬ寝室は真の暗闇だ。
自分はいつのまに眠っていたのだろうか。
ついさっきまで、色とりどりの光がキラキラと輝く明るくて暖かな道を、カミルと手を繋いで歩く夢を見ていた。
どこを歩いているのか、どこに向かっているのかもはっきりしない。
真っ直ぐ前を向いて歩くカミルは、相変わらず無愛想なしかめっ面だ。けれど、ディーナの手をしっかりと握るその手には、力を混め過ぎないよう注意が払われ、その歩みもディーナを引きずらないように、慎重に一歩一歩進んでいる。
頭のどこかで、これが夢と解っていても、胸が痛くなるほど幸せだった。
ずっとこのまま、どこにも着かなければいいのにと思った瞬間、不意に気がついたのだ。
―― そっか。私は旦那さまが大好きだから、一番近くにいたいんだ。
もやもやとしていた気持ちが、ディーナの中でポンと形になる。
吸血鬼は特別な相手を望まないとか、自分では吊りあわないとか、そういった事はともかく、ディーナ自身が勝手に望んでいる。
関係の名前なんか、なんでもいい。どんな形だって構わないから、彼の一番傍に居たい。
『……旦那さま、大好きです』
思わずそう口にすると、カミルの鋭い目が、こちらに向いた。
赤い瞳がじっとディーナを見据え、何か答えるように口を開き……。
その時。
どうやら知らぬ間に抱きかかえていたらしい枕を取りあげられて、強引に夢は中断されたのだった。
寝ぼけ眼のまま組み敷かれて仰天したものの、夢よりも確かに感じるカミルの存在に恍惚となって、囁かれるままに返答をしていた。
うまく回らない舌で、たどたどしく言葉を紡ぎながら、心の中でも答えていた。
―― 大好きな旦那さま。貴方に喜んで貰えるなら、ご奉仕もいっぱいしたいです。最初に交わした約束は、ちゃんと守ります。
だって、そうして仕える限り……私は貴方の一番近くにいられるから……。
こんな自分勝手な本音は、とても口に出せなかった。
小間使いの仕事に対する対価として、カミルからは毎月の十分な給金と、溢れるほどの優しさを貰っている。
なのにこの上、カミル自身までも独占したがっているなんて。そんな思いを知られて、欲深い奴だと呆れられたくはなかった。
しかしなぜか、乾いた笑い声をたてて、自分には理解できないと呟いたカミルの声は、酷く冷えていながら、押さえ切れない怒気を孕んでいるようだった。
すでにディーナの目は、はっきり覚めており、暗闇でまったく視界はきかないぶん、他の感覚が鋭敏となっている。
もしかして、自分の浅ましい考えを見抜かれてしまったのかと、ディーナの背筋を寒気が走る。
「旦那さま……?」
不安を押し殺して呼びかけてみたが、返答はない。代わりに、指先でゆっくりと唇をなぞられる。
長い指は、見えなくてもすっかり馴染みとなった感触なのに、いつもよりやけに冷え冷えとしているように感じる。
言いようのない不安に身震いし、ディーナはとっさに枕もとのカンテラをつけようと手探りした。
カミルがどんな表情をしているか見るのは怖いけれど、このままでいるよりはましだ。
しかしカミルは、その腕をあっさりと捕らえ、頭上で一まとめに押さえつける。そしてもう片方の手を、ディーナの着ているネグリジェの襟元にかけた。
「旦那さ……っ!?」
そのまま乱暴に強く引っ張られ、肌さわりの良い布地が甲高い音をたてて引き裂かれる。
弾け飛んだボタンの一つが、ディーナの頬にペチンと当たって転げ落ちた。
「ぁ……」
丸くて軽い木のボタンは、痛くもなんともなかったのに、思い切り頬を張り飛ばされたように声を失ってしまう。
カミルが黙ったまま、呆然としているディーナに口づけた。頬骨をぐっと押さえられ、大きく開かされた口の中に、ぬめる舌が入り込んでくる。
「んっ……ん……ぅ」
ピチャピチャと音をたてながら、好き勝手に口腔を蹂躙される。舌を緩く咬まれて、ディーナは喉奥で喘いだ。
怖いし、何よりもカミルに嫌われてしまったのかと、涙が滲んでくる。
許されるのなら、今すぐカミルにすがりつきたいのに、戒められた両腕は離しても貰えない。
ディーナが身をよじるほど、強く押さえつけられていく。
散々に口内を嬲られたあとで頬の手を離され、仕上げとばかりに唇を甘く噛まれた。