優しくない子-2
最初の頃は、ディーナに同情してくれた者もいたが、そんな素振りをすれば今度は自分が使用人仲間たちから裏切り者扱いされると知り、完全に孤立の図式ができた。
農場に来て数ヶ月は、毎晩泣いていたディーナも、今では諦めが身についてきた。
どんな状況でも、人は適応しようとするものらしい。
ディーナは他の使用人と仲良くしようという無駄な努力をやめ、なるべく要領よく立ち回る方向へと頭を使い始めた。
泣くのは堪えて体力の消耗を抑え、どんなに小さな食べ物の欠片も漁る。八つ当たりをされないよう、周囲の顔色をよく伺って慎重に過ごす……というように。
今日も、料理番の不機嫌な表情から危険を察知し、パンだけを素早く貰って干草小屋に逃げ込んだのだ。
(どうしよう……この子、小さくても人狼だもん……大人に言わなきゃ……)
飢えた視線でパンとディーナを交互に睨む人狼の子どもは、何度も立ち上がりかけては倒れている。
きっと、今すぐディーナからパンを奪い取りたいのに、怪我が酷いのと、お腹が空きすぎて動けないのだろう。
小さな身体でも、この子はとても凶暴な魔物なのだ。
大人たちに言えば、この子を殺すか、捕獲して憲兵に引き渡すはず。それが人狼に関する決まり事なのだから。
『――ディーナ。お父さんとお母さんはね、お前が優しい子に育ってくれるのが、何よりの望みだよ』
『どんなに辛いことがあっても、困った人には優しくできる子でいてね』
もうかなり薄れてしまった両親の声が、耳の奥でかすかに響く。
―― お父さん、お母さん……私にはもう、無理だよ。
これを全部一人で食べたって、きっと空腹で眠れない。この子はお腹を空かせているけれど、それは私だって同じ。
お父さんたちと一緒に、私の周りからは優しさなんて消えちゃったの。
だから……ごめんね。
ディーナは唇を噛み締めて、手の中のパンを半分にちぎった。泣きたくなるほど小さなベーコンも。
それを手の平にのせ、狼の尖った鼻先に差し出した。
「……半分、あげる」
本当に優しい子だったら、自分よりももっと困っているこの子に、食べ物を全部あげたと思う。
でも……私は優しくないから、半分しかあげられないんだ。
狼のギラついていた目が、驚いたように見開かれた。尖った鼻先の形が徐々に変わり、鋭い爪の生えた手足も変化していく。
完全に戻れなかったのか、狼の耳と尻尾は残したままだったが、ディーナと同じくらいの年頃の、少年の姿になった。
「ぅ……」
少年は呻いたかと思うと、ディーナの差し出したパンを引ったくり、瞬く間にガツガツと飲み込んでしまった。
ディーナも急いで自分の分を食べ、改めて人狼少年を眺めた。人間の姿になると、その怪我の酷さがはっきりわかる。数え切れないほどの大小の擦り傷に加え、左足と右腕はザックリと深く斬られていた。
「ここで待ってて」
少年に言い残し、母屋の裏庭をそっと通り抜けて納屋に向かう。
古布の袋から、できるだけ綺麗な布を何枚か取り出し、外の水場で濡らした。納屋で見つけた古いコップも綺麗に洗い、水を汲む。
コップと布をもって干草小屋に急いで戻ると、人狼少年はやはり凄まじい勢いでコップの水を飲み干した。
あんまり急ぎすぎて咽ていたので、ディーナは少年の背中をさすりながら、濡らした布で傷口を拭く。
母屋に薬箱をとりに行く勇気はなかったので、手足の深い裂傷は丁寧に拭いてから、干草小屋の周囲に生えている薬草を潰して塗り、乾いた布で縛った。
少年はディーナがせっせと傷の手当てをしている間、ずっと黙ったままだった。
……なんだか信じがたいものを前にして、困っているような顔をしていた。
「これで、ちょっとは良くなるといいんだけど……」
左足に布を巻き終わり、ディーナが顔をあげると、少年と視線があった。
「…………ぁ」
少年がひび割れた唇を微かに開き、何かを言いかけた瞬間。
「ディーナ! さっきから、こそこそと何をしているんだい!? すぐに出ておいで!」
バロッコ夫人の怒声と、鞭が地面を打つ乾いた音が外から響き、ディーナは震え上がった。
注意したのに、目ざとい夫人は、ディーナがこっそり裏庭を通り抜けたのに気づいたらしい。
いつもならそれくらいで激怒しないが、今日は鬱憤を晴らす機会を、血眼になって狙っていたのだ。
すぐに出ていかなければ、夫人のほうで乗り込んでくるだろう。