〜 水曜日・尻叩 〜-2
一体いくつぶたれたのだろう。 ３つめの得物は唐突に訪れた。 スリッパの雨が止んだ直後に、これまでとは比べ物にならない鈍痛が襲う。 恍惚に浸りかけていた私の意識は、一瞬のうちに現実へ戻されてしまった。
スパンキング・パドル。 俗にいう『パドル』で、卓球のラケット型の木型に皮革を張った重々しい道具である。 片方の尻たぶ全体を覆うほど大きな『パドル』は、風紀委員Ｂ６１番の大柄な体格によく似合い、いかにも様になっていた。
ふりかぶって、一気に打ちぬく。
ビタァン、ビタァン、ビタァン。
右、左、右と交互にお尻が打たれるたび、肌が真っ赤に染まり、お尻に残った皮下脂肪が烈しくたゆむ。 水面を平手で叩く要領で、パドルで打たれた部分から外側に向けて、肉の波が伝わってゆく。 それくらい、一打一打が痛烈なのだ。
ビタァン、ビタァン、ビタァン。
堪えようとしても、衝撃が背筋を伝わるため、打たれる都度にビクンとなる。 姿勢が姿勢だけに、陸に打ち上げられた魚が跳ねるような恰好。 けれどこれは痛みに耐えかねて震えるのではない。 パドルの衝撃が直に伝わるせいで跳ねてしまうだけだ。
それだのに、私の事情は全く斟酌されなかった。 『動くなといっているでしょう。 ２０発追加』と頭上から宣告され、ショックで意識が飛びそうになる。 意地でも動かないよう、跳ねる身体を理性で抑え込めということだ。 私は腹筋と背筋に力を籠め、尻たぶを開く両手でお尻を押さえつけ、とにかく動かないよう筋肉に力をいれた。
ビタァン、ビタァン、ビタァン。
効果はあったのだろうか。 パドルの打擲を動かず耐えることが出来たのだろうか。 確認しようがない危惧を抱きながら、それでも歯を喰いしばって自分を抑えつける。 私以外の生徒にしても、悲鳴をあげるといったはしたない真似は誰もしない。 時折大きな吐息をついたり、小刻みに鼻息を漏らしたりする以外は、見事に沈黙を守ってみせた。
一頻りお尻を腫らしたところで、風紀委員がそっと撫でた。 風が吹いただけでヒリヒリするまでに痛めつけられたお尻にとって、そっと撫でられる感触は、人肌というだけで心地よい。 まして次はどんな風にぶたれるのか恐々としていた私である。 既に涙を浮かべていたが、つい感情が昂ぶって、鼻水まで啜ってしまった。 やった、これでようやく終わりだ――。
――と、ならないのが学園の指導だった。
途端に感情の籠らない宣告が下りる。 『次は活字です。 反省する脳力が足りない分は、自分のケツマンコで補いなさい』 そういうなり、パラパラと耳に慣れた響きを残しつつ、重たい疼痛がお尻を包んだ。 痛いというより、圧し潰される新しい感触。 チラリと背後を一瞥すると、分厚い洋書を手にしたＢ６１番。 つまり今度は本の背表紙で、私のお尻を叩こうというわけだ。
バシ、バシ、バシ。
さっきまでとはうって変わって、無理に息を詰めずとも、自然体のままで堪えられる。 当然痛くないわけではないのだが、痛みが適度に拡散されているのだろうか、一か所が痺れたりはしない。 しかも厚紙の表紙は、パドルのゴムとは全く違う、親しみを感じる肌触りだ。 正直本で叩かれていても、嗚咽が込みあげることはなかった。 けれども痛くないこと前面に出せば、また『パドル』が登場するかもしれない。 緊張感を絶やさぬようにグイッとお尻を開き、床の一点を凝視しつつ、私は装丁の乱打にお尻を任せる。
バシ、バシ、バシ。
お尻から響く重低音。 正直、この感覚は嫌いじゃない。
我ながら悍（おぞ）ましい心境が、もしかしたら芽生えつつあるのだろうか。 痛みが快感になるとは思えないけれど、痛みしか幸せを実感できない人間はいるという。 私にも、そんな片鱗が訪れることがあるのだろうか？ 束の間、例え痛みが少ないとはいえお尻を叩かれているというのに、安らいでいる自分を感じてハッとなった。 これくらいの痛みなら心底冷静に受け止められるようになった？ いや、それどころか、気持ちのよさすら感じている――。
バシ、バシ、バシ。
――いや、そんなバカなことはない。 単に予想より痛みが少ないから、ホッとしているに過ぎない。 鎌首をもたげた疑念を払う。 改めてお尻に神経を集中させれば、本の打擲も十二分に痛烈で、立派な罰といえるではないか。 気を抜くことで痛みに反応してしまわないよう、私は気を引き締めた。