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椿姫
【サイコ その他小説】

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椿姫-1

「いってらっしゃい、あなた。由里子さんによろしく伝えてね」

 彩子は薄紅色した唇を緩く左右に引いて笑った。
 真弘の乗るジープの後ろでひらひらと右手を振って見送る。

「……何が目的だ。慰謝料なら払うと言っている」

 苦渋に満ちた真弘の声が、開け放した運転席の窓から薄暗い車庫へと響く。
 彩子とは対照的に、ほりの深い彼の眉間には更に深々と皺が刻まれ、ハンドルを握り締めた両手が痛いほど軋んだ。

「目的も何も、あなた。夫を妻が見送る事になんの問題があって?」
「うるさい! それなら一体これは何の真似だ!」
「私とあなたを繋ぐ赤い糸。なーんて、それっぽいよ」

 おどけた彩子は肩を揺らしてせせら笑い、文子の首とジープのトランク部を繋ぐ一本のワイヤーを指先で弾いた。
 ピンと張られたそれは、音こそ立てはしなかったものの小刻みに揺れて振動が伝わり、二点の間で静かに止まる。

「真弘さん、由里子さんとの仲は順調のようね。よかったわ」
「……」
「私も好きな人との赤ちゃんが、作れる身体だったら良かったのにね」
「彩子!」
「早く病院に行ってあげて? 由里子さんのためにも、赤ちゃんのためにも」
「……それなら、彩子。ワイヤーを外すんだ」
「それは出来ないわ。だって私は、あなたを愛してるんだもの」

 ジープの後ろに立ち続け、バックミラー越しに重なる視線。
 穏かな彩子の表情に真弘はゾッと鳥肌が立った。
 ただただ微笑む彼女、首に細いワイヤーを結んで。
 背中を冷たい汗が零れ落ちる、手の平がズルズルと滑る所為でハンドルが上手く握れない。
 固くブレーキを踏み込む真弘の右足が、小刻みに、確かに震えていた。
 大きく息を吸い込む。ゆっくりと身体の力を抜く。
 バックライトの赤い光が、彩子を照らすのを止めた。

「さあ、あなた。アクセルを踏んで。病院に行って。由里子さんに、お元気でねと、伝えてね」


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