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Mirage
【純愛 恋愛小説】

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Mirage〜2nd Emotion〜-4

──ヤメだ。

こんなことを考えたところで、きっと何も生まれはしない。
今日のところは相手に気付かれずにやり過ごしたのだ。もうこれから二度と逢うことは無い。

そう思うことで少しでも自分の中の感情を抑制する。荒れ狂う牡馬の手綱を引くのと同じように。
「あいつら、どうしたかな‥‥」
ごろり、と寝返りをうち、白い天井を見つめながら誰にとも無く呟く。連絡くらいはしてやってもいいだろう。そう思って、僕はベッドから体を起こした。

♪♪〜

携帯電話が鳴る。
背面ディスプレイには『麻生千夏』の文字。
僕はうまい言い訳が思いつくことを祈りつつ、右手の親指で通話ボタンを押した。

翌日。前日の晴天が嘘のように、鈍色の空からは大粒の雫が零れ落ちていた。それらはあっというまにグラウンドや校庭を巨大な一つの水たまりに変え、僕たちを校内に閉じ込めた。それは、模擬店の出店者たちも同様で、3年生や各部活の運営する模擬店は校内の空き教室へと押し込められた。
「‥‥で?」

『1−F』のプレートのかかった教室で、赤茶けた髪をミディアムに切り揃えた男子生徒が、腕を組んで窓枠にもたれかかる。その後ろでは、窓の上部に降り注いだ雨が不規則な軌道を描いて透明なガラスの上部を滑り落ちていた。

彼がこんな表情(かお)をするのは珍しい。いつも軽率な言動が先立ち、因数分解を頻繁に間違えるくせに、セクシャルハラスメントのスペルを暗記している彼が、研ぎ澄まされた眼差しで僕を射抜いた。

「『で?』って何やねん?」
僕は怪訝に眉を寄せた。‥‥が、これはフリだ。彼が何を言いたいかぐらいはわかる。
「何で昨日はあんなすっ飛んで帰ったんや?」
寄ってきて、机に手を突いた男子生徒──江川周作の声色はその表情の割りに穏やかだった。朝のホームルームが終わり、各自が解散して教室が空いたとき、帰ろうとした僕を呼び止めたのは彼だ。

千夏には電話で、僕の逃走の理由は体調不良ということで言いくるめた。昨日の様子だと、彼女はそれを疑いもせずに信じたようだ。驚くほど千夏は扱いやすい。
「別に、周には関係あらへん」
椅子に座ったまま僕は頭の後ろで手を組み、体を倒した。床を掴む2本の足が頼りなさげにぎしぎしと軋む。

周はふぅ、と息を吐き出し、
「ま、別にそうまでして聞き出そうとはせぇへんけどな」
やれやれ、と言わんばかりに2・3回首を横に振った。これが千夏なら、無理矢理にでも聞き出そうとしてくるだろうが、このときばかりは周であったことに少なからず安心した。
「あの二人‥‥つーか、筑波の方が結構気にしてたで? 『無理矢理連れ出したから怒ったんかなぁ?』って」
精一杯似せようと努力しているのだろうが、彼の声は気味の悪い裏声にしか聞こえない。けれど、眉をハの字にして困っている彼女の様子は容易に想像することができた。
「‥‥筑波には、謝っといてくれや」
僕は苦く笑いながら、手提げ鞄を左肩に担いだ。
「帰んの?」
口調は疑問形だが、周の表情は変わらない。僕は小さく頷くと、出口へと歩を進める。
「‥‥千夏には言わんでええんか?」
僕はスライド式のドアに手をかけたところで一瞬動きを止め、
「‥‥任すわ」
と言い残し、教室を後にした。

僕の足取りはひどく重かった。
いつもは速いリズムで降りる階段も、今日に限ってはかなりのスローテンポだ。スタッカートをつけたっていい。
周囲からは天気を嘆く声や、準備に追われる慌ただしい足音が聞こえる。それらはいずれも僕には関係の無い。僕は今から体調不良で家に帰るのだから。
玄関には何人かの生徒の姿があった。僕と同様に、文化祭には関係の無い連中だろう。
僕は靴を履き替え、傘立てから傘を引き抜──こうとしたが、その手は傘の柄を掴むことができず、行き場を無くして虚空に張り付けられた。


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