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サイパン
【戦争 その他小説】

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第十三話 敵軍上陸前夜-3

「炊けた! 炊けた! 飯ができましたー!」
 笹川一等兵は嬉しそうに飯盒の蓋を開けた。白い湯気が炊きあがった白米の香りと共に広がる。
「三人ともご苦労さん」
 杉野は分隊員全員の調理を担当していた、笹川一等兵、木田一等兵、横井一等兵の三人を労った。
 白米は今日の夕方、数名の輜重兵が砲撃の続く中、飲料水や乾パンなどと共に一食分だけでもと、補給に届けてくれたものだ。
「やっぱ白飯は温かいのに限りますね」
 口いっぱいに白飯を頬張って片野上等兵が言う。
「おぉ。まったくだな」
 杉野は同意しながら、背嚢から缶詰を一個、取り出した。『牛・大和煮』と書かれている。
 杉野は支給品のポケットナイフを背嚢の横ポケットから取り出し、尾部に付属している缶切りでキコキコと缶詰を開けた。
「そういえば、横井。お前さん大学で何習ってたんだ?」
 杉野はふっと思い出したように向かいで白飯を掻き込んでいる横井一等兵に聞いた。
「俺ははずかしいんですが、芸術科で油絵を描いてました」
 横井は気恥ずかしそうに顔を少し伏せた。
「へぇー、絵か。お前はどんなの書くんだ?」
「自分は風景画を描いていました」
「俺は絵はよくわからないんだが、山とか川とか書くんだよな」
「そうです。あの……本土に帰ったら、お暇があれば、大学へ絵を見に来てくださいませんか?」
 杉野を誘うのに、横井は少し勇気を出した。戦争中なのにこんなことを誘うのは不謹慎だと思ったからだ。
「お前の絵か、いいぞ。女房と二人で行くから、何なら記念に一枚描いてくれよ」
 杉野は横井の心配など意に介せず、さも当然と言う風に言い、さらには、似顔絵の依頼までしてきた。
「わかりました。ぜひお願いします!」
 杉野の反応に横井はわずかな興奮を覚えて、目を輝かせて声を大きくした。
「さぁ、そろそろ飯も食い終わるから、片づけてくれ」
 杉野は食べ終わった缶詰を横井に渡して処理させた。部下が上官の食事の後片付けをすることは、軍内では常識のことで別段特別なことではない。後片付けに上官を待たすわけにはいかないので、部下は上官よりも早く食事を終えねばならなかった。一等兵の横井も同様で、会話している間に手早く食事を済ませており、上官の杉野を待たせることなく空き缶を受け取り、ほかの隊員の空き缶やゴミの回収を始めた。
 飯盒は水が貴重なため水洗いはせず、各自、外側のススを軽く手拭いで拭き取ってから、各々の背嚢に収めた。
 ゴミを埋める穴を掘っている調理担当の三人を、木の根に座って眺めていた杉野は、少し暗い顔で誰にも聞こえないように一人、自問した。
「俺はお前らを故郷に帰してやれるだろうか?」
 無意識に杉野は妻の写真を右手で握りしめていた。


 六月十四日、米軍上陸前夜は兵士それぞれの想いや意気を乗せ、静かに更けていった。


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