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君に宛てて
【純文学 その他小説】

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(一人称視点)-1

僕は彼女のために生きている。そう思っている。
 女が目を覚まし。僕にその事実を改めて告げた。そんなこと分かっている。けれども、僕は独りは嫌だった。女を抱き寄せると、キスをしてきた。母にされたみたいなキスだった。色気もなければ、求心的な情もなく、ただの責務のようで、気取って見えた。背伸びしてる。顔が近いと、女は彼女には似ても似つかない。取り分け、その茶の髪が彼女を隠さない時は、そうだ。近いと夢は崩れる。美しさは暴かれる。でも彼女は違う。僕は彼女のために生きている。普遍的な彼女の美に魅入られて生きている。魂を捧げている。
 キスが終わると僕は服を着て、独り、外に出た。雨が降っている。動物は雨にぬれるのを本能的に嫌うらしい。でも僕が思ったのは、彼女がこの雨に凍えないだろうかということだった。雷がならないだけ、僕の心労のネジは緩かった。僕は動物だ。人間は動物だ。天候を支配することは出来ない。彼女を守るために、雨を止ませることなんて出来ない。無力感を感じながら僕は、昼食を食べに大学の同級生がバイトをしているカフェへ歩く。
 カフェに入るとタオルを渡され、僕は自分の髪を拭いた。パスタを頼み、足がきちんと収まるようにカウンターの回転椅子に座った。ウェイトレスをしている同級は明朗闊達に言葉を紡ぎ、閑散した店内の空気を明るいものにしている。彼女もこんなふうに快活な女の子だった。おそらくモデルのように四肢がスラリと伸びていたわけでもないし、顔が殊更整っているというわけでもなかったが、彼女にはそれら全てをプラス要素に豹変させてしまう生命力と魅力があった。彼女の柔らかく高い声と、かすれた小声は僕の心に真っ直ぐと突き刺さった。そして言葉が、抜けない釘のように、何年も経って壁と同化してしまった楔のように変容し、彼女のことを僕は思い続ける。そんなことを考えながら、僕はトマトソースの海に浸かった芯なしパスタを食べていた。ポケットでバイブ音がした。女からだ。僕の恋人だ。恋人からは迎えに来てという類のメールが来ていた。同級は傘を貸してくれた。僕はパスタを残し、雨の降る最中の街へ出た。
 何故、あの子と付き合っているのか、それを説明するのに明快な答えは出ない。彼女のために生きている僕が何故、付き合っているのだろう。あの子とは大学で出会った。偶然にも隣の席に座ったあの子に僕は一種の共感を覚えた。それは観念的なものだった、雰囲気というか、そういうものだ。あの子の事は好きだった。でもこういう日に、例えばこんな感傷的な雨が降るとき、僕は彼女のことを考えずにはいられなかった。僕の大切な、そして失って、いや元から手に入れてさえいない、僕の前から消え去ってしまった彼女。あの子は僕のこんな破滅的で、救いのない性質さえも許してくれる。そう僕は許して欲しいのだ。だからあの子と一緒にいる。これは言い訳なんかじゃない。嘘でもない。本当のはずだ。母子的な性格をした関係でもないし、そして対等な関係でもなかった。雨はだんだん強くなった。そして、それに伴って僕の感傷は強まる。雷が落ちないのが本当に救いだった。
 カフェにつくとあの子はつらそうな顔をして、背もたれに身体を預けていた。幽霊を見たような顔をしていた。そして実際、見たのは僕の事だった。僕は誠実に遅れたことを謝った。それは軽薄に聞こえたが、訂正せず、向かいに座った。あの子は僕の彼女への求心を理解したようだった。僕のことをまた許してくれた。そして言いようのない孤独と罪悪感に気づいた。彼女を探さなくては。そんな感情が僕の身体を侵食していった。傘をあの子に渡し、僕は足早にカフェを後にした。
 どこに行けば良いのか分からなかった。彼女を人混みの中に探し。彼女との記憶を引っ張り、彼女への気持ちを反芻した。結局何も見つからなかった。僕は何をしているのだろう、そんな気持ちを抑えこみ、雨に打たれながら、どこまでも歩いた。雨は僕の顔をびしょ濡れにしたが、僕は泣いていなかった。泣けるほどうまくはできていないのだ、人生も、人間も。
 夜になって、僕は決心した。京都に行こう、彼女のいる京都へ。僕は切符を買った。駅は閑散としていて、音は雨の音だけだった。それも闇に溶けていた。新幹線は時刻通り、到着した。うまいもんだ。歯車が確り回っている。僕には関係のないことだった。勝手にしてくれ。
 中に入り、取り敢えず、邪魔にならなさそうな席に収まった。僕はそこで眼を閉じた。彼女の声が聞こえハンカチで体を拭いてくれる。僕は彼女を見て微笑む。ああ、僕の微笑みは、うまくやってるだろうか。僕のことだからうまくないのだろう。彼女を怖がらせてしまうかもしれない。でも僕は微笑まずにいられなかった。彼女がいる。生きている。なんて素晴らしいのだろう。他には何も望まない。僕は泣いてなんかいられなかった。代わりに空が泣いているのだ。勝手にしてくれる。だから僕は下手な微笑みを浮かべた。
 目が覚めると彼女の姿はなく、ハンカチだけが残った。 
 新幹線は走っている。僕は彼女の方へ向かっている。
 彼女のために生きている。
 もしかしたら死んでるのと同義かもしれない。
 でも、そんなの僕には関係ない。彼女に会いたい。それがすべてだ。


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