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爛れる月面
【寝とり/寝取られ 官能小説】

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2.湿りの海-6

 女子トイレで玩弄されたショックを引きずったまま自席に戻ると仕事の効率は格段に落ちた。薄く痺れるような疼きと指の感触が下腹部に漂い続けている自卑に苛まれて、あの男の憎らしく忌まわしい顔が頭にチラつく。自分をこんな思いにさせるあの男を八つ裂きにしてやりたいと思った。しかし同時に、あの指がまた自分の中に入ってくるのを熱望している体が、紅美子を決して向かってはいけない方向へ慫慂してくる。定時までに伝票は終わらず、経理担当を待たせて全て仕上げた時には夜の七時を超えていた。残業をする羽目になった経理担当に責められるどころか、一人でこの時間で終えたことに感謝されて更衣室に入った。更衣室に備えられた姿見に自分を映す。シンプルな黒のロングTシャツにフレアデニム姿はあの豪奢なホテルにはそぐわない気がした。――ホテルに行く前提で考えている自分に向かってまた警鐘が鳴らされた。
 指輪を取り返しにいくのだ、大切な物だ。抱かれたくて行くのではない。抱かれても、あの男に屈服しない。
 紅美子はじっと鏡を見据えて、自分でも冷徹な印象だと思う、睫毛の長い切れ長な瞳を覗きこんだ。
 婚約してるのだ。誠実でなければならない。――あの指輪はその印だ。
 そう反芻してロングカーディガンを羽織ると丸の内へと向かった。
 チャイムも鳴らさず、ノックもせずにドアの前に立っていると、ひとりでにドアが開いた。井上が徐々に姿を現す。
「何で突っ立ってる?」
 スーツを脱いでいる井上は体にフィットしたアンダーシャツに筋肉質で逞しい胸板を浮かび上がらせていた。ボクサーブリーフから伸びる脚も引き締まっていて、中年と言われる年齢にしては見事な肉体だった。だがやはり紅美子を迎えた表情だけは嘲りを含み、綽々としていた。
「……なんで居るって分かったの?」
「気配だよ。君のことを待ち望んでいたからね」
「何それ。超キモい」
 紅美子は無意識のうちにまた足を肩幅に開き腕組みした姿勢を取っていた。
「冗談だ。フロントで部屋を聞いたろ? こっちにも連絡があった。入らないのか?」
「別にいいんじゃない? 指輪返してもらうだけだし」
 組んでいた片手だけ崩して、手のひらを井上の前に差し出す。
「約束したはずだけどね。指輪を返すための条件」
「は? 条件とかバカみたい。脅迫しようっての?」
「……怖くなったのなら別にいいさ」井上は開いたドアの縁に肘を着いて紅美子の方に身を乗り出しながら、「帰ったらいいじゃないか。あんな安物の指輪のために、怖い思いをする必要はない」
 笑みを浮かべる。拳で引っ叩いて、爪を立て掻き毟ってやりたいような、じわりと滲む嘲笑だった。俄に屈辱が沸騰し、紅美子は目を細めて井上を睨んだ。
「……値段じゃない。フィアンセ君から貰った大事な大事な指輪だ。プライスレスってやつだろ?」
 井上は憤懣に黙っている紅美子の様子にクックッと押し呑む笑いを見せた。「君は見た目と違って、かなり純情なようだ」
「……あんた、最低ね。言われない?」
「よく言われる。特に女にね。……だが、最高とも言ってもらえるよ。同じく女に、だ。……無駄話はもういいだろ? 僕は君を抱きたくてしょうがない」
 ドアを開いたまま廊下にも聞こえる声で井上が言った。「指輪が欲しけりゃ入って来い。抱いてやるから。イヤなら帰るんだ。指輪は責任持って捨てておく」
 最後通牒に紅美子は舌打ちを聞かせた。
「どうするんだ?」
「入るわよ。……どうってことない」
 紅美子は肘を突き出すように井上の胸を押しのけると、背筋を伸ばして部屋の中に入っていった。振り返ってその姿を見ながら井上がドアを閉める。
 部屋は昨日と同じ内装だった。調度類も全く同じ所を見ると、昨日と同じ部屋かもしれない。キングサイズのベッド。大きな窓は今日もカーテンが開いている。昨日の出来事が嫌でも思い出された。井上に背を向けたまま、紅美子は瞳を強く閉じて蘇る記憶を払拭すると、井上に悟られぬようにゆっくりと長い息を吐き出した。
「いさぎいいね。抱かれる覚悟ができたのか?」
「……先に指輪返して」
「できたのか? って聞いてる」
 また舌を鳴らして、
「どうってことない、って言ってるでしょっ……」
 苛立ちに喉を濁らせた声で井上を振り返った。思いのほか井上が近くまで来ていてたじろぎ、今にも襲いかかられる、と思った紅美子はバッグを開き、中に入れていたビニール袋を取り出すと井上の胸に思い切り押し付けて退ける。
「何だ? このプレゼントは」
 受け取った井上はドラッグストアの袋から取り出したコンドームの箱を見て、「久しぶりに見たよ」
「……あんたなんかのきったないので汚されたら、たまったもんじゃないから買ってきてあげたの」
「何だ、やっぱり抱かれるつもりだったのか」
「指輪を取り返しに来た、って言ってるでしょ?」
 と言うと、紅美子は井上の横を通り過ぎようと足を踏み出した。
「どこにいくんだ?」
「シャワー」
 呆気無く終わらせて帰ってやる。紅美子はそう思いながら、「さっさと終わらせてよ。先に浴びたいなら……」


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