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爛れる月面
【寝とり/寝取られ 官能小説】

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1.違う空を見ている-8

「タバコ」
 はい、と眉間を寄せて必死に入力している紗友美が画面から目を逸らさずに言った。本当に早田を迎えるために伝票入力を頑張っている。その本気を最初から出して欲しいと思うが、何だか憎めないところが紗友美が得をしている部分だ。シガレットケースと携帯を片手に一緒に持ち、階段を昇って屋上へ出た。尾形精機の事務所内には喫煙室を作るようなスペースは無く、屋上を喫煙所としていた。とはいっても紅美子はここで誰にも会ったことがない。最近タバコを吸う人間が少ないということもあるが、社長は社長室で吸うし、技術系の工員は隣接した工場前に設けられている喫煙スペースで吸う。わざわざ屋上まで階段で昇ってきて吸う社員はいなかった。
 タバコを吸いながら、
『中学の時の早田っておぼえてる? 徹と同じ高校行ったよね? 今、ウチの会社に取引先として来てバッタリ会った』
 徹にメッセージを送った。すると程なくして既読に変わって、
『うん、おぼえてるよ。早田くん、京大に行ったから、大学以降は全然会ってないな』
 仕事してんのかなぁ、と即返信に口元が緩む。
『バドゥル・インターナショナル、だって』
『すごいね。世界企業だ』
『そんなにすごいの?』
『普通の就活とかで入れるような企業じゃないよ。どうやって入ったらいいかも俺も分からない。すごいなぁ、彼、人気あって人から好かれるし、面白いし。そんな会社に入れるのも何か分かる気がする』
 ふぅん、やっぱそんだけすごいんだ、と思いながらも、徹の返信が気に入らなくて、
『徹も、すごいじゃん』
 と打った。
『俺はそんなにすごくないよ。研究所に来たら、俺くらいなのは普通にいるし』
 返ってきた言葉に、まるで徹の顔にするかのように、眉を顰めて煙を画面に向かって噴きつけた。
『すごいよ、徹は』
『なんで?』
『私のダンナになるくらいだもん』
 即返信が滞った。紅美子の返信に徹が悦びに打ち震えている姿が容易に想像できて、一人で笑ってしまった。『って、サボってないで、仕事して』と連続で送信する。
「……楽しそうだね」
 急に声をかけられて叫びそうになった。声を聞いただけで分かった。さっき応接で聞いた、屋上の風が強く吹く中でも聞こえる低く響く声。顔を向けてそちらを見ると、かなり近くまで来ていたのに全く気づかなかった。
「いい眺めだ」
 顔を真上に上げなければ全貌が見えないほどのスカイツリーを眩しそうに見上げて言う。確か井上って言ってたっけ。いつもは水を張ったペンキバケツに投げ捨てるのを、わざわざ膝を揃えて折って屈み、水面を突くようにジュッと火を消して、
「ありがとうございます」
(スカイツリーが見えるのに、私がお礼言うのも変か。……ま、いいや)
 自分で言った事に違和感を感じながら、立ち去るために一礼すると、
「ウチの早田と同級生らしいね」
 顔を上げたところで会話を繋がれた。
「はい。早田……、早田さんとは中学が同じでした」
「そうか。……あいつは昔からあんな感じかな?」
 井上が「あんな感じ」と言う、感じが分からなかったが、おそらくはあの物怖じしない人懐っこさだろうと思い、はい、とだけ答えた。すると男は、くっくっと笑い声を噛み締めながら、だろうね、と言った。ヤバい、井上は早田の上司だろう。井上がどう取ったかわからなかったが、上司受けが悪いことを言ってやると可愛そうだと思い、
「頭は良かったですし、生徒会長でした。人望もすごくありました」
 とフォローを入れてやった。
「……そうだね。奴はなかなか見込みがある。変に日本人的でない、というか……、ま、発想が柔らかい。新卒でウチに入るだけあってココも優秀だしな」
 井上が人差し指で自分の頭を突ついて見せた。へえ、早田の奴、世界企業の偉い人に見込まれるなんてやるじゃん、と、自分の発言がマイナスにならなかったことに安堵した矢先、「……何より、君みたいな美人にフォローを入れてもらえるあたり、なかなかの人望だな」
 隅田川を上っていく船を見ながら井上が付け足した。柵に手をかけ、もう一方の手はポケットに入れてビル風を浴びて目を細めている姿が様になっている。ベスト付きの細身のスーツとハイカラーのシャツにも嫌味がない。だがフォローを入れたことを見透かされ、しかも「君」などと気取った呼称で呼ばれたことが紅美子にはどうしても鼻についた。
「あの、おタバコ。こちら風が強いですから、社長室で吸われてはいかがでしょう? ご案内いたします」
 だからこの場を打ち切ろうと提案した。
「いや、僕はタバコを吸わないよ。正確には、やめたんだ」
 じゃ、何しに来たんだ、と二の句を継げないでいると、「君もタバコはやめたらどう? 美容の大敵だ」
 また「君」と呼ばれて紅美子はさすがに苛立ちが抑えられなくなって、
「これ以上美しくなったら彼氏が不安がりますので」
 と言ってしまった。その言葉に井上は紅美子の方も見ずに声を上げて笑った。


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