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爛れる月面
【寝とり/寝取られ 官能小説】

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1.違う空を見ている-16

「そうですね」早田の笑い話の中ならともかく、井上にこんな流れで言われると徹まで貶されたような気分になる。「取引先との親睦で来たんですから」
「取引先だ、って言ってくれるなら、それでいい。ウチの社交費で落としておくよ」
 世界企業が零細企業の派遣社員二人を接待するなんてありえない。勝手にテーブルに金を置きたかったが、一体四人でどれくらい飲食したのか、来たことがない店だけに想像がつかなかった。
「……。早田経由で必ずお支払いします」
 紅美子は言いようのない口惜しさに喉が渇いて、財布を仕舞うと水を一口飲んでから、物知り顔で笑みを浮かべる井上を見返した。
「やれやれ。……、君はもう少し素直になったほうが可愛らしいのにね。こんなに美人なのに」
 常に年長の上からな態度で臨まれて、ますます紅美子の矜持が刺激されていく。
「可愛らしくなくてすみません。その必要もないので」
「何故?」
「言ったじゃないですか。私はもうすぐ結婚するんです」
 井上はワイングラスを置いて、脚を組んだままの居姿で両手を広げた。
「結婚は別に関係ないさ。……三回もしてる僕が言うんだから間違いない。女は素直なのが一番だ」
 早田の話はネタにされた不快感の中にも中学時代への懐かしみがあった。だが、井上に対しては屋上で話していた時から、自分を小馬鹿にするような匂いが常に感じられる。身装はいいし、中年を迎えて色気を発している容姿は、世の中の女にはかなり高評価を得る部類だろう。しかしどうしても腹立たしさを感じる悪感情がどこから来るのか、紅美子はこの時やっとわかった。
「女をそうやってバカにするから、三回も結婚することになるんです」
 紅美子の敵意丸出しの表情にも、余裕の笑みを浮かべた井上は、
「バカにはしていないよ。……やっぱり君はそうやって怒っているほうが魅力的だな。酒が顔にはあまり出ないようだが、飲んで赤くなっている頬が余計に色っぽくさせるね」
 とふてぶてしく見えるほどの態度を見せられて、紅美子はカッとなった。
「口説いてるつもりですか? 下心が丸見えです」
 暫く井上が黙る。答えに窮しているわけではないのは、余裕が面貌から全く消えていないことで分かった。間が空くと、激情に任せて言ってしまったことすらも口惜しくなって、紅美子は溜息をつきながら井上から目を反らし、胸元までかかる長い髪を手で撫でて整えていた。
「……やっぱり、そう思うかい?」
「帰りましょう」井上の言葉を合図とするように紅美子は立ち上がった。「今日、女が必要なら、私の地元から吉原がわりと近いので案内しますよ」
 目を合わせずドアに向かうと、井上が立ち上がりながら息をつくのが聞こえた。ざまあみろ、と思いながらドアノブを捻ろうとすると、思いのほか素早く井上が近くにやってきて、紅美子の手を上から握りしめた。井上の方を睨もうと顔を向ける前に、もう一方の手を背中に回されて抱き寄せられる。
「吉原にも君ほどの女はいないだろ?」
 風俗嬢の延長とでも言われている気分になって、紅美子は身を捩り、井上を平手で叩いてやろうとしたが、更に力を込められて動くことができない。薄笑いを浮かべながら井上が顔を近づけてくる。トイレに行く前までは見せなかった酷薄な唇の歪みと、目に姦邪の光を感じ取って、紅美子は井上の胸に当てた片手を力いっぱい押し返した。紅美子が力を入れれば入れるほど、井上は力を込めて紅美子を離すまいとする。
「犯罪ですよ?」
 本気で井上を睨みつけた。
「……その女帝の目がたまらないね」
「バカすんな、エロオヤジ。女が欲しけりゃ他当たれよっ」
 トーンを落としているが、心底から振り絞った乱暴な言葉で井上を睨み続けた。また井上が黙る。表情は変わらず、笑みを浮かべたまま紅美子を見据え続けるから、紅美子も睨みを止めるわけにはいかなかった。
「大声出すけど?」
 あまりに長い時間の静寂の中、背中に感じる徹ではない手が悍ましく思えてきて静かに言った。こんな豪華なホテル、こんな店、別に二度と来れなくなったって全く構わなかった。井上のほうは店の常連のようだし、こんな乱痴気な騒ぎを起こしたら、社会的な立場上でも困ったことになるはずだ。
「やれるものなら?」
 そう言われて、紅美子はすぐに大きく息を吸うと、
「誰か助けてっ! いやだっ!!」
 とあらん限りの大声を放った。廊下を素早く進む足音がして、ドア越しのすぐ向こうからノックのあと、
「井上様。何かございましたでしょうか」
 という声が聞こえてきた。入店の際に出迎えた、この店で最も上位の男の声だろう。
「いや、すまん」
 井上は全く動揺を見せず、紅美子の手ごとノブを回して自らドアを少し開けた。チーフマネージャは慌てた表情も見せず、こなれた所作で井上を窺っていた。
「……この子がちょっと興奮してしまってね。女房に僕達の関係をバラすと言って聞かないもんだから、説得しようとしたんだが、このザマだ。騒ぎを起こしてすまない」
 すらすらと嘘を言った井上を睨みつけて、
「誰がお前の愛人だっ! ……離してっ! 離せよっ! クソオヤジっ!」
 井上の手の中で思い切り暴れるが、男の力に抑えられて解き逃れることができない。紅美子の前でチーフマネージャは表情一つ変えない。
「おい、静かにしろ」


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