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ちちろむし、恋の道行
【歴史物 官能小説】

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その1 ちちろのむしと出会ひけり-8

「いや、やめとこう。……それより、あんた、名はなんていう?」

「……お鈴と申します」

「ふーん。で、おれのところに来た本当の理由(わけ)は何なんだ?」

お鈴の肩がピクッと動いた。

「焼け出されたなんて嘘だろう。あんたの後ろを見てみな、影があんたの正体を教えているぜ」

お鈴は慌てて振り向き、そのままの姿勢で固まった。障子には大きくぼんやりと触角のある虫の影が映っていた。 お鈴の肩ががっくりと落ちた。

「なんということ……、影にまでは気が回りませんでした」

細いうなじを見せて、じっとうなだれていた。が、ゆっくりと背筋を伸ばすと、

「正直に申しましょう。じつは、私の正体はちちろむしです。あの日、あなた様に助けて頂いた雌のちちろむしで す。その節は大変有り難うございました」

畳に手をつかえ、折り目正しく頭を下げた。

「ぜひともお礼を申し上げねばと思い、こうして人間の娘に姿を変えて、まかり越した次第でございます」

お鈴は身をかがめたまま瑚琳坊を見上げた。

「あらためてお願い申し上げます。しばらくここに置いて下さいませ。ご恩返しをさせて下さいませ。炊事でも、 洗濯でも、何でもいたしますゆえ」

二人の間にしばしの沈黙が流れた。煙草の煙がゆっくりと立ちのぼり、渦を巻いていた。

や がて、瑚琳坊が煙管の吸い口で首筋を掻きながら言った。

「まあ、いいだろう。ちょっとの間なら置いてやるぜ。虫の化身とはいえ、そこまでうまく化けてるんだ、他のや つらぁ気がつかねえだろう。だが、出歩くことは許さねえぜ。誰がおまえの影を見とがめるか分からねえからな」

「影ですか……。大丈夫でございます」

お鈴が目を閉じ、少し力んだかと思うと、背後の影が見る見るうちに娘の物へと変わっていった。

「ふーん、大したもんだ」

「これなら出歩いてもよろしゅうございますね」

「そうだな……。さて、人別帳には上州から出てきた従妹だとでも書いておくか……」

「有り難うございます。一生懸命ご恩返しをさせて頂きます」

お鈴はまた馬鹿丁寧に頭を下げた。

「おう、まずは手始めに酒を買ってきな」瑚琳坊が小銭を投げ与えた。「おまえのせいで、すっかり酔いが醒めち まった。二町先の橋のたもとに屋台が一軒出ている。今時分でもやってるはずだから、これに酒を入れてもらってくるんだ」紐のついた大振り の徳利をお鈴に手渡した。

「かしこまりました。行ってまいります」

お鈴は立ち上がり、袷に腕を通し身繕いを直すと、瑚琳坊に笑顔を見せ、腰高障子を開け軽やかに駆けていった。

「やっぱり可愛いな。正体を知らなけりゃあ、とっくに押し倒してるところだぜ……」

瑚琳坊はゆっくりと顎をなで上げた。




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