尾行1-2
同フロアで働いていた社員が異動するので、その送別会があった。関係者全員にお誘いのチラシが回ってくる。今回は会費の半分は会社持ちということもあり、酒は嫌いではない石橋も行くことにした。出席してみたはよいが、話す相手がほとんどいないので早めに切り上げてきた。
女子社員らの私服姿に密かに興奮し、その帰り石橋は無性に女が抱きたくなった。夜の街で茶髪の兄さんが配っていた風俗のチラシを見て性欲がピークに達し、ケータイを取り出し、デリバリー何とやらの電話番号を押したのであった。
化粧のきつい女は金を受け取ると、さっさと帰っていった。石橋はたった今抱いた女の体を思い浮かべ、ギシギシといやな音がするベッドに座り、感慨にふけっていた。
「声一つ上げないかわいげのない女だったが、若いだけあって体はまあまあだったな」
独り言をつぶやき「えへへ」と笑い、きちんと折り畳んである服に手を伸ばした。服を脱いだあと丁寧にたたむ姿を見て、女が顔をしかめたのを石橋は知らない。
急にもよおしたときでも、四十を超えた独り身ということもあり、女を買う程度の金は持っている。石橋はすっきりした気分でホテルを出た。
使ったのは何軒かあるホテルの中でも一番安いホテルだ。本当はホテル代など出したくないが、ソープランドに行くより、この方が生々しいと思えるのでそうしている。キャバクラの女は絶対に抱けない――石橋が――ということが分かり行くことはない。手っ取り早く女を抱けるシステムを利用しているのだ。ポケットから名刺――女が石橋から催促されるまで渡さなかった――を取出し「今度もさっきの女を呼ぶかな」とつぶやいた。
ホテルを出て腕時計を見ると九時を過ぎていた。静まりかえったホテル街に、今は誰も歩いていない。休憩いくら、泊まりいくらと書かれた看板のけばけばしい光が、にやけた顔を照らしている気がするので、やたら口を動かして顔の筋肉をほぐした。
「さて、ビールでも買って家で飲むか」すっきりしたしな――と、つぶやき、伸びをしていると、前方の高級そうなシティホテルから一人の女が出てきた。というより、忽然と女が現れたといったほうがよい。いずれにしてもホテルの前なので、そこから出てきたとしか思えない。
こちらに顔を向けたあと、慌てた様子で足早に去っていった。
若い女ではない。が、清楚な雰囲気だった。記憶の中にモヤッとしたものを感じた。石橋は首をかしげた。遠くでしかも一瞬ではあったが、何となく見覚えがあるような気がしたからだ。
去った方角を見つめ、記憶を蘇らせようとしたとき、女が出てきたと思われるホテルから、背の高い男が出てくるのが見えた。思わず声をあげそうになり、慌てて口を押さえて回れ右をした。セクションは違うが、男はなんと上役の田倉だった。気になるどころではない。そっと振り返る。
「田倉もこんなホテルを利用するのか。とすると、相手はさっきの女かな」
口の中でボソボソと言い、不自然な女の行動を思い返した。
「なるほど。こそこそしなければならない相手ってことか。女は中年。まさか人妻……おいおい不倫でもしているのか。ふうん、なかなかやるなぁ」などと想像を逞しくした。
田倉の女遍歴はそこかしこで噂されている。離婚したらしい、ということも自然と耳に入る。従って現在独身ということだろう。詳細は知らない。というより、関心がなかった。
女子社員にモテて、仕事もできる男なので大きな噂にはならないのだろう。「噂というのは女子社員がするからな。田倉なら許せるということか。まあ俺には関係ないな。逆立ちしても田倉には適うはずもないし。いえることはヤツの下半身は節操がないということじゃないか」ついさっき女を買ったことは棚に上げ、鼻をふんと鳴らした。
「年増の女が好みらしいな。やっぱりさっきの女は人妻かもな。しかしこんなところに出入りするような女には見えなかったぞ。そう、品があるんだ。田倉かどうか分からんが、こんな所にいたということは、くそ、やっぱり一発やられた後かよ」舌打ちしながら小さくなる田倉の後ろ姿を見つめていた。
そのとき、頭の中に閃光が走った。
「あっ！」
さっきの女が誰だったかを思い出したのだ。石橋の声にアベックが振り返ったが、気にしている場合ではない。
石橋の知っている女はこんなホテルとは全く無縁であるからして、思い出すのに時間がかかったのだ。別のところであればすぐに思い出すに決まっている。
我に返り、女が消えた路地を急いで曲がった。大通りに出ると人通りが多くなる。前方を見据えるが人が多くて女を探せない。左右を見回すがどこにも見えない。とりあえず駅の方へと走った。
こんなに走ったのは久しぶりだ、というより記憶にない。死にそうなほど息があがっている。運動のためと称し、室内プールへ通いはするが、学生の頃のように泳ぐことはほとんどない。水着姿の女を鑑賞するため、素知らぬふりを装い座っている方が多い。中年になって増殖した贅肉が今日ほど恨めしく思ったことはない。
とうとう女の姿を見つけたときは、あまりの懐かしさに胸が震えた。