手放してしまったもの-8
目前には、怒りを剥き出しにしている駿河の顔があった。
その瞳はどことなく潤んでいて、あたしは思わず息を呑む。
「す、する……」
咄嗟に頬を押さえながら彼を呼ぼうとするけど、声が出ない。
駿河の赤い目を見てようやく、自分の選択が間違いであることに気付いてしまった。
ガクガクと膝が震えだして、上手く立っていられない。
青ざめたあたしを一瞥した駿河は、舌打ちを一つしてから大きなため息を吐いた。
「お前は誰でもよかったのかよ」
駿河の声は、震えていた。
いや、声だけじゃない。涙をためた瞳、形のいい唇、細身だけど引き締まった身体、そのすべてが怒りで震えていた。
呆然としたまま固まるあたしに、彼はさらに続ける。
「勇気を出せなくて、恋人の振りを演じることで気持ちを伝えた俺だってずりいってわかってるよ。……でも、女にとって初めてってすげえ大事なもんじゃねえの? それを俺に許してくれるってことは、お前も俺のこと好きになってくれたって思ってたんだけど……」
そこまで言うと、駿河は乱暴に目元を腕でゴシゴシ擦っていた。
その一方で、いつの間にかあたしの瞳に溢れていた涙がポツリ、とフローリングの上に落ちていた。
床にできたシミをお互い見つめながら、彼の方が口を開いた。
「お前にとって、セックスって軽いもんだったんだな」
フッと表情を緩ませた駿河。でもその顔には侮蔑の色が混ざっていた。
その軽蔑したような顔を向けられた瞬間、後ろに倒れてしまいそうになった。
――取り返しのつかないこと、してしまった。
恋人ごっこをしてたと言い張ることで、気持ちを隠し、今まで通りに戻る、そんな算段が見事に音を立てて崩れていく。
弁解しなきゃ。とにかく駿河が怒っているのを宥めなきゃ。
頭ではわかっているのに、怖くて身体が動けない。
怖さだけじゃない。駿河を傷つけてしまった後悔が重く背中にのしかかる。
そんな、石のように重くなった腕をなんとか彼の身体に伸ばそうとするけど、駿河は思いっきりそれを跳ね除けた。
さっきまであんなに優しく抱き締めたその手で、あたしを思いっきり拒絶したのだ。