投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

THANK YOU !! ver. distance love
【純愛 恋愛小説】

THANK  YOU !!   ver. distance loveの最初へ THANK  YOU !!   ver. distance love 6 THANK  YOU !!   ver. distance love 8 THANK  YOU !!   ver. distance loveの最後へ

THANK YOU!!-3


数日後。


『これそっちの控え室もってけー!』
『それはこっちじゃない!』

ステージの裏でホールのスタッフが慌ただしく動いていた。
ひっきりなしに、ズボンの後ろポケットに押し込まれているトランシーバーが様々な場所からの音声を流し続けている。
バタバタしている足音が控え室のある廊下にまで聞こえていた。
先程ゲネプロを済ませた仲間たちは特に気にもせずに自分たちの集中力を切らさないように、思い思いに過ごしていた。
その仲間たちが集合している部屋の二つ隣。そこには他の控え室よりも一回り大きな部屋で、瑞稀がひとりで椅子に座っていた。
本番直前。深海のブルー色が綺麗な、ドレスに身を包んで。

「・・・」

その視線は、一台のケータイ。ワンセグTVが見れる機能を使用したまま、ただ見つめていた。
流れてくるのは、コンサートを取り上げるニュース。先程、空港にて受けた瑞稀のインタビューも映し出された。自分でもよく分かる。緊張しすぎて、無表情すぎること。

「・・はあ・・」

初めての大舞台。今まで、こんなチャンスが巡ってきたことはない。
このコンサートでのコンマス・・主席演奏者としての役割を成功させれば、さらなる成長を遂げ、さらに世界へ名が広まることになる。それによって、今も期待を寄せてくれている人々に、やっと恩返しらしいことが出来るのだ。
ただ。そう思って、意気込めば意気込んでいくほど、自分の音に自信がなくなっていく。
みんなの求めている音は、これで合っているのか。不安に駆られる。
瑞稀のここ最近に渡る不調は、今も続いていた。

別に体調が悪いという訳ではない。確かに、練習と自主練を済ませ、夜中に帰宅してから拓斗と電話のやり取りをしていて寝不足には近いが、そこまで身体に影響をきたしている訳でもない。イマイチ、周りから求められる音が気になって、集中できなくなるだけ。
ただそれだけの不調なのだ。

「大丈夫。やれる。」

瑞稀は自分にそう言い聞かせた。トランペットを持つ右手が微かに震えるのを、右手を軽く指体操することでなんとか抑えようとする。
その時。軽いノックの音と共に、

『ミズキ。出番だ』

というボスの声がドアの向こう側から聞こえてきた。

『はい!』

返事をすると同時に、瑞稀は勢い良く立ち上がった。緊張か、恐怖かで震える左手でドアを開け、控え室を後にした。


******


午後6時。コンサートが開演した。まず舞台に登場するのは仲間たちからだ。
仲間たちが席に着いたのを確認してから、主席演奏者である瑞稀が舞台袖から姿を現す。
どこのオーケストラも同じというわけではないが、おおよそ一般的な登場の仕方だ。
瑞稀の登場に、観客からひときわ大きな拍手が送られる。
歓声などは挙げられない暗黙のルールがあるので、手の叩く音だけが響いて、瑞稀の耳に届く。観客には目もくれずに、瑞稀は静かに自分の席に歩み、観客席に向き直って一礼して椅子に座る。

それから、瑞稀のトランペットの中心音に合わせて各々がチューニングを始める。丁度ひと吹き終えるくらいに、瑞稀がトランペットを下ろした。
それに習って仲間たちも楽器の構えを崩した。ただ静かに、指揮者が登場するのを待つ。
それほど待たずして、瑞稀が登場した同じ舞台袖から指揮者が現れる。と、またも大きな拍手が送られる。
指揮台に歩み寄ると、深々とお辞儀をしてから、指揮台に乗った。それから、瑞稀に目線を送る。瑞稀はそれに小さく頷いて返す。
準備が出来ていることを確認した指揮者は愛用のタクトを大きく上に弧を描くように振り上げた。それに、合わせて管楽器が音を鳴らす。


― トランペット協奏曲 変ホ長調
『交響曲の父』として知られるハイドンが作曲した、トランペット協奏曲。
これはハイドンが、半音階の演奏が可能なトランペットを開発したアントンの為に贈られた曲とされている。そのために、半音階のフレーズが多く、コロコロと変わる自由な曲調。主な楽器は、独奏トランペット、フルート、オーボエ、木管楽器でクラリネットと似ている形状のファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニ、弦五郎。
瑞稀が担当するのは、独奏トランペットのパート。
このあと、瑞稀と他のトランペット3名が楽章のメインであるフレーズを高らかに吹き上げる。勿論、メインは瑞稀。

「(・・よし!)」

指揮者の揺れるタクトにカウントを合わせ、瑞稀はタイミングばっちりに音を出した。
・・・つもりだった。

「・・・!?」

ところが吹き込んだ息が、トランペットから拒まれるように奥に届かなかった。
音が、出ない。演奏を続ける仲間が横目で驚いて、戸惑っている。
それよりも心中が穏やかじゃなかったのは、瑞稀だった。

「(な、んで、なんで・・!?ゲネプロでは、上手く行ったハズ・・!!)」

トランペットを構えたまま、頭が混乱していると、隣に居たエンディがホルンのピストンをいじる姿が横目で見えた。その姿に、瑞稀はあることに気がつき、自分のトランペットのピストンを触ってみる。
・・・瑞稀の予想通り、奥側の3番ピストンが回りきってしまっていた。

トランペットは、マウスピース単体、または3つのピストンの組み合わせで音を奏でる。
そのピストンには一つ一つ、下の方にバラバラに穴が開いていて、そこに息が通ることで大きな音になる。
ピストンには決められた入れ方がある。
手前のピストンには1番、真ん中のピストンには2番、奥のピストンには3番とふられていて、ピストン管に数字が彫られている。
その彫られている面を自分が口を付ける・・つまり正面に向けて入れないと、トランペット本体の管とピストンの穴が合わなくなり、息が通らなくなってしまう。
すると、息が通らない訳だから、音が出ない。今の瑞稀のように。


THANK  YOU !!   ver. distance loveの最初へ THANK  YOU !!   ver. distance love 6 THANK  YOU !!   ver. distance love 8 THANK  YOU !!   ver. distance loveの最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前