投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

春眠の花
【フェチ/マニア 官能小説】

春眠の花の最初へ 春眠の花 2 春眠の花 4 春眠の花の最後へ

い乃花-3

 マスクの下で彼女は私に微笑みかけてくれているのだろう。

 私と同年代ならば、彼女も三十路にさしかかっているはず。

 女盛りの皮膚は薄化粧だけで足りてしまう、彼女はそういう人に違いなかった。

 こんなときに人間観察をしている場合じゃない──。

 今日という日が特別なものになって、明日からは、新しい家族との新しい生活がはじまる。

 季節もちょうど春だし、梅や桜が見頃を迎えたら、近くの公園まで子どもを連れて、うららかな日差しの中で授乳をする自分を想像してみる。

 愛しい我が子と白い乳房をケープでくるみ、枝をしならせる満開の花の下で、母乳をあたえる喜びを表情に浮かべる。

 それが私のハピネスなのだ。

「もうすぐ病院に着きますから、あと少し頑張りましょうね」

 その声で我に返った私は、ずっと手を握ってくれている看護師の手を握り返し、声にならない「ありがとう」を言ったつもりで口を動かした。

 そして彼女の容姿を直視してみて、落ち着いていられる理由を見つけた。

 ナーススーツのウエスト部分にはあるべきくびれがなく、お腹がわずかにふくらんでいる。

「じつは私も妊娠しているんです」

 私の視線に気づいた彼女はそう言った。

「妊婦が妊婦に付き添っているなんて、どういう巡り合わせなのかしらね。説明のつかない縁を感じてしまうのは、私だけでしょうか」

 彼女は自分のお腹に手を添えて、次に私のお腹を撫でてきた。
 それはもう医学の分野を越えた、人が人をいたわるしぜんな仕草だった。

 飴細工のようにきれいな艶を流し込んだ長い髪、メープルシロップを思わせるその色が、私の視覚を甘く刺激した。

 警告を発しながら慎重に交差点を通過する緊急車両の中は、居心地のいいものではない。

 しかし、彼女のおかげですべてが速やかに運んでいるのだと思った。

 やがて救急のサイレンが止み、ブレーキの揺れに到着を知った。

 ハッチバックを全開にすると、数人のスタッフがせわしく私を取り囲み、鋭く指示を出しながら無駄のない動きを繰り広げていた。

 時刻はわからないけれど、外はすっかり暗くなっていた。

 赤色灯が辺り一面をめらめらと照らしている。

 深まった夜の中にそびえ立つ病棟は夜空を突き上げて、そのいちばん高い位置からは、赤十字がこちらを見下ろしていた。

「小村奈保子(こむらなおこ)、三十歳、初産です。破水から四十分ほどが経過していると思われます」

 母子手帳の記録を誰かが読み上げる。


春眠の花の最初へ 春眠の花 2 春眠の花 4 春眠の花の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前