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『ITUKI』
【純愛 恋愛小説】

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『ITUKI』-6

その日はそのまま、部屋にいつきを寝かせることにした。
雨は降り続けている。さすがに記憶喪失の少女を外に放り出しておく訳にはいかなかった。
女友達でもいれば、電話していつきを預けることも出来たのだが、僕には異性の友達どころかろくに付き合ってくれる知り合いがいない。結局、僕の今夜の寝床は固いフローリングの上になった。
「このベッド、少し古いね」
頭上でいつきの声がした。これでも貧乏学生だからベッドにまで上等なものを使う気など起こらなかった。「文句言わないでくれよ。シーツを替えたんだから別にいいだろ」
僕は寝返りを打った。彼女の顔は暗くてよく分からなかった。
「そうね、貴方には礼を言わないとね。
えっと・・・」
口籠もったいつきを見て、彼女にまだ自己紹介をしていなかった事に気付いた。「宏和。大城(おおき)宏和だ」
「ふ〜ん。たいそうな名前ね」
いつきは鼻で笑うように言った。礼を言わずに名前を笑われたのは生まれて初めてだ。
僕は何も言い返さなかった。返す気力がないほど疲れていたのかもしれない。
「じゃあ私も下の名前で呼んでいいかしら?
苗字だと堅苦しいし、それに、ね」
「それに?」
ようやくそれだけ絞りだすと、彼女に聞いた。 暗やみに目が慣れて、いつきの顔ははかなそうに揺れた。
「私、この名前しかないから・・・少し寂しいの」
といつきは笑った。
声のない笑顔だった。
「だからお願い。ちゃんと私の名を呼んで、ちゃんと私の話を聞いてね」
「わかったよ。なんでも好きな様に呼んでくれればいい」
僕はぶっきらぼうに答えるとまた寝返りを打った。 恥ずかしくなって早く寝てしまいたかった。
「フフッ、ありがと・・・宏和」
背中越しにいつきの声が聞こえてきた。
顔は見えなかったが今度は心の底から笑っているのだと思った。


午後の講義を終えると、僕は教室を出て正門のほうに足を向けた。
退屈な講義だった。受講者の半々は真面目に受けたり、単位のためにしかたなく出ていたが、僕はどちらでもなかった。
話を聞かずに手元のペンで遊んだり、窓の外を眺めたりしながら時間を潰しているだけだ。
ずっと二条さんのことを考えていた。彼女の安否を思うと、胸がざわざわしていたたまれない気持ちになる。また病院に行こうか迷ったが、僕が行っても二条さんが助かるわけではない。結局、悩んでいるうちに踏ん切りがつかなくなった。
いつきのことも頭から離れなかった。
ここ数日、彼女はずっと僕の家にいる。時々、どこかに出掛けたりしているみたいだが行き先は知らない。それ以外は、とにかく部屋から出ようとしなかった。家でごろごろしているか、ベッドで寝ているかのどちらかだ。
僕からすれば、二条さんと一緒の部屋で生活している錯覚で浮かれてしまうのもおかしくないのだが、いつきは二条さんとは何もかもが違った。
性格も、行動も、言動も正反対といっていい。
同じなのは本当に顔だけだ。
顔だけは二条さんなわけだから、僕は彼女に頭が上がらなかった。


「おかえり」 眠そうに僕を出迎えたいつきは白のワンピースに素足で立っていた。 僕が昨日、洗濯しておいた彼女の唯一の持ち物だ。
「ねえ、お腹空いた」
「好きに食べていいよ」
僕が冷蔵庫を指差すと、彼女は不満げに口をとがらせた。
「さっき見たけど、この家って何にもないのね。呆れたわ」
「自炊してないからね、ほとんど外食なんだ」
僕が部屋着に着替えて落ち着いていると、待っていたかのようにいつきが近づいてきた。
「なにか作って」
「疲れてるんだ。勘弁してくれよ」
「文句つけないから」
「君が作ればいいだろう?」
「私がやっても絶対焦がすわ。やるだけ無駄なの」
仕方なく僕はキッチンに立った。数少ない食材を全て残飯にされてしまっては適わない、と思った。
冷蔵庫のなかはほとんど空に近い。卵しか残っていなかったからオムライスくらいしか作れそうな料理がなかった。
それで充分だろう、と僕は簡単に仕上げた。盛り付けなども特にない。味付けなんかも適当だ。
出来上がったモノをいつきの前に置いてやると、意外と素直に喜んでくれた。


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