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『秘館物語』
【SM 官能小説】

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『秘館物語』第2話「訪問者」-6


「あれ?」
 踊り場を通ると、柱の根元にうずくまって、望が何かをしていた。
「おはよう、望さん」
 その背中に、浩志は声をかける。
「!」
 すると望は、弾かれたように身を起こして、慌てたように振り向いた。
「ど、どうしたの?」
 その驚き様は、思わず浩志が身を引くほど強いものだった。
「い、いいえ! なんでもありません! おはようございます、浩志さん!!」
 まるで用意したような言葉を並べ立て、柱の根元から浩志の視線を外すように望は立ち上がった。両腕を後ろ手にし、何かを隠すような仕種でもある。
「……?」
 怪訝な表情を浮かべながら、浩志は不意に望が手にしているバケツや雑巾に気がついた。
(この柱、なんだか汚れてたもんな)
 根元に、染みのようなものが滲んでいることは浩志も気が付いていた。それで彼は、客人が来るということもあるので、望は念入りに館内を掃除しているのだろう、と考えた。
「ごめん、仕事の邪魔をしてしまったね。それじゃ」
「いいええ!」
 望の様子がおかしいのはいささか気にはなったが、邪魔をするわけにも行かないので浩志はその場を後にする。
 …望が後ろ手に隠したバケツの中には、見るもおぞましき汚泥が充満していたことに、彼はとうとう気づかなかった。
「さて、そろそろかな」
 シャワーを浴びて身を清めてから、しばらくを自分の部屋で過ごし、朝食の時間に合わせるように再び部屋を出た。
 “訪問者”を迎える館の一日が、始まったのである。


 駅に向かって、浩志は車を走らせていた。隣には、普段着の碧が座っている。
 特に人手がいるというわけではないのだから、一人でも構わなかったのだが、片道20分の道中だ。連れがいれば、退屈はしない。
「浩志さん、なんだか嬉しそうですね」
「そう?」
 浮かれた心持が顔に出ていたらしい。
 それは、隣に碧がいるという一事だけのものではなかった。
「久しぶりだからさ。兵太さんに会うのは……」
「浩志さんは、轟様をご存知なのですね」
「ああ」
 “轟 兵太”、という御仁が、“秘館”にやって来る客人の名前である。志郎が懇意にしているフリーライターであり、浩志にとっても馴染みの深い人物だ。
 実際、高校生になってから一人で暮らすことになった浩志は、何かと彼の世話になることが多かった。
『志郎はんによろしく頼まれとるし、それにワイも、坊ちゃんのこと好きやさかい』
 ノリは軽いが、面倒見のいい兵太の存在は、一人暮らしに慣れない頃は本当に救いだった。きょうだいのいない浩志にとっては、中学の頃から知り合いになった兵太は、以来、兄にも似た存在と言ってよかった。
「そういえば、兵太さんは館には何度も来たことあるの?」
 思い起こせば、受験に失敗し、恋人にも別れを切り出され、消沈の極みにいた浩志をあの館に連れて行ってくれたのも兵太だ。おそらく彼は、志郎がこの“秘館”にいることをかなり前から知っていたのだろう。
「よく、お顔を出されますよ」
「そうなんだ」
 志郎との交流を思えば、当然かもしれない。あの二人は、離れた歳にも関わらず、気の置けない親しい間柄にある。
「仕事のお話で足を運ばれる時もあれば、奥様と一緒にのんびりとなさるためにこられる時もあります」
「えっ、奥さん?」
「はい」
「奥さん……」
 妻帯しているとは、知らなかった。意外な事実に、浩志はさすがに困惑する。
「とても、綺麗な方ですよ。慎ましやかで、清らかで……」
「へ、へぇ……」
 だが、ノリは軽くとも、あれだけ面倒見が良くて、人の心を慮ることのできる好漢だ。そんな彼に惹かれ、将来を共に生きようと考える女性がいて当然だとも浩志は思う。
(でも、兵太さん助平だからな……)
 なにしろ官能小説の蒐集を趣味にしていると公言しているぐらいだ。その恩寵に預かって、彼の蔵書を借り受けた事もある浩志である。


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