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『秘館物語』
【SM 官能小説】

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『秘館物語』第2話「訪問者」-13


「強い人間としての“カオス”を感じる。しかし、それに翻弄されるあまり、絵描きとして求められる“コスモス”を見失ったのは、まだまだというところだ」
 独白にも思える、志郎の呟きであった。
「お待たせ」
 自分の絵が鑑賞されていたことも知らない様子で、浩志がティーカップを載せたトレイを両手に戻ってきた。
「あれ、その絵…」
 そして、テーブルにトレイを置こうとした時に、先に並べられていた二枚の絵が視界に入った。
「僕の絵……?」
 それは、本来ならばこの場所にはあるはずのないものでもある。
「碧君にね、頼んでいたんだ」
 いぶかしむ視線を、それでも飄然と受け止めながら、志郎は訊かれる前に答えを返していた。
「碧、さんが?」
 父の口から恋人の名前が出た瞬間、浩志の深奥に“ざらり”とした感覚がわずかに生じた。それまでの温和な雰囲気に、かすかな陰を彼は見せた。
「………」
 その雰囲気を嗅ぎ取ったように、兵太の顔に緊張が走る。
「しばらく、お前の絵を見ていなかったからな」
「そう、だね」
 義父に、“カオスを感じない絵だ”と言われて以来、自分の納得がいく絵が書けるまでは、見せるのを躊躇っていた。ただ、そうやって出来上がった“失敗作”を、碧が“欲しい”とせがむので、浩志は書いた絵のほとんどを彼女にあげていた。
(碧が、僕の絵を父さんに…?)
 それが、志郎の手元に渡っていたというのは、裏でなにやら手を廻されたような気がして、浩志としてはあまり気分の良いものではない。
 もちろん、義父が自分の絵に関心を持ち続けてくれることはありがたいのだが…。
「勝手なことをしてしまったな。すまない、浩志」
 言葉が少なくなってしまった浩志の様子を慮ったのだろう。志郎にとっては些細なことのつもりだったが、浩志にはその限りではないと。
「あ、いや。大丈夫だよ」
 敬愛する父に、陰のある表情をさせてしまった。浩志は慌てたように心の靄を払い、用意してきたティーカップに紅茶を注いで、二人の前に差し出した。
「そっちの絵はさ、描いてる途中から、何だかおかしくなっちゃってね」
 目の前に置かれているムラの強い絵に、浩志は少し気恥ずかしさを覚える。何しろこれは、自分では明らかな“失敗作”と思っているからだ。
 この絵を描いているとき、側には碧がいた。それも、身体を繋げあってから間もない頃の話だ。絵にするはずの風景を見ながら、彼の脳裏には情事の一部始終が何度もリフレインしていたのである。
 花の鮮やかな色使いに、碧が目の前で晒して見せた秘処が重なった。花びらの一枚一枚に、濡れた襞の佇まいが映し出されて、どうしようもない興奮状態に陥ってしまった。
 結果、絵の構図や色使いが、修復できないぐらいに破天荒なものになっていた。われながら呆れる出来栄えであった。
「だが、悪くない」
「え?」
 しかし、志郎はその絵を気に入っている様子だった。彼が世辞で評価をしないことは、浩志が一番知っているから、その言葉は何よりも真実である。


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