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トルムチルドレン
【SF その他小説】

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-2

 退屈な講義を終えると、私は光輝との約束通り講義室に留まり、静香は「彼氏と待ち合わせだから」と言ってスキップでもするように出て行った。
 大きく伸びをしながら大あくびをし、反らせた背を後段の机に沿わせると、眼前に光輝の顔があった。焦って姿勢を戻す。
「すんげぇあくびだな」
「まずは礼をしろ、代返の」
 光輝は首の後ろに手をやり「あんがと」と言うので私は「よろしい」と腕を組んでみせる。
「礼はスタバのコーヒーつったろ。ヒロは静香ちゃんと違って彼氏もいないからどーせ暇なんだろ」
 そう言うと私の手首を掴んでぐっと引っ張るので、私は顔を赤くしながら慌てて鞄を掴んで光輝の後ろをついて行く。
「さっき静香が、光輝は商学部の、あぁ、名前忘れちゃった、なんとかっていう女の子に会ってるんじゃない? って言ってたけど、その人に会うために講義抜けてるの?」
 私の顔をまじまじと見た光輝は「お前、情報通?」とふざけて言う。
「だから静香の情報だって。で、質問に答えていないと思うんですが」
 一度目を伏せた後、顔を上げた時に光輝は、何かを画策しているような、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「まぁ、さっきの講義は確かに、商学部の子に会ってたよ。静香ちゃんに正解って伝えて」
 道端に落ちていた蝉の死骸をひょいと避けながら、私の方を見た。
「こんな答えていいですか?」
 私は無言で少し首を傾げ、それから訊くか訊くまいか迷った挙げ句、何も言わずに頷いた。
「付き合ってるのか」なんて、訊けない。傷つくのは嫌だ。自分の消極的な性格に、ほとほと呆れる。

「さっきの講義のノート、見せてよ、写したいから」
 だったらサボるなよ、と視線を投げ呟きつつも、自分を頼ってくれる事が嬉しくて、鞄の中からノートを取り出すと、テーブルの上に広げた。
「ここから、ここまで」
 人差し指ですーっと指すと、光輝も鞄からノートを取り出し、ペンケースから猫のキャラクターが描かれているシャーペンを取り出し、写しはじめる。
 私は、光輝におごってもらったアイスコーヒーをストローでかき混ぜながらその作業を見ていた。男の人にしては神経質そうな文字を書く。ノートに書いてある文字は何度も見た事があるけれど、キャラ物のシャーペンと合わせると、まるで女の子がノートを書いているように見える。男性の指とは思えない奇麗な指も、それを助長しているんだろう。
 少し苦いブラックコーヒーに口をつけ、「その猫のやつ、好きなの?」と訊ねる。ふとノートから顔を上げた光輝は間の抜けた顔で私を見て、何かスイッチでも切り替えるように「あぁ、好きだよ」と言って目を細める。そしてまた、ノートに目を落とす。
 シャーペンの芯がノートに擦れる音がきちんと聞き取れる。筆圧が高いのだろう。
「なぁ、ヒロ」
 彼はノートに目を落としたまま口を開くので、私はストローから口を離し「何?」と訊ねる。
 私の声にも全く顔を上げず、すらすらとノートを写し続けながら少し訝し気な声で言う。
「俺とその、商学部のなんとかさんが、付き合ってるとか、静香ちゃん、言ってた?」
 私はかぶりを振り、それが顔を上げない光輝にも伝わったのか、彼はふっと笑った。
「お前、この猫のキャラクター好きか?」
 相変わらずノートから目を上げない光輝に、今度は声に出して「うん、好きだよ」と言う。光輝はまた溜め息みたいに笑い、そしてひと言。
「俺の事は好きか?」
 銃弾を食らったみたいに、一度身体が跳ねた。これは全くの不随意運動で、自分でも驚いた。返事をしなければいけないと思うのに、開いたり閉じたりする口は、空気ばかりを出し入れして、のどが声を出そうとしない。
 そのうちに光輝がすっと顔をあげ、私に真っすぐな視線を送り込んできた。
「俺はヒロの事が好きなんだ。付き合って欲しいんだ」
 耳から入った情報は、脳の中に伝達され、次は口を開いて、声を出せと指令を送る。
「わ、わたしも、好き」
 硬直したように私を見据えていた顔は、瞬時にふんわりと緩み、「何だよ、もっと早く言えば良かった」と穏やかに笑った。
 私は顔が火照ってきて、きっと見た目にもそれは現れているのだろうと思い、コーヒーを飲む手で誤摩化す。顔色一つ変えない光輝が羨ましかった。
「よし、終わった。これから暇でしょ? どっか行こうよ、初めてのデート」
 ノートをパタンと閉じて私に手渡す。私はそれを鞄に仕舞いながら、これは夢なのか現実なのかと思い、右足で左足を思い切り踏んづけてみたら、思った以上に痛みが走り、これが現実なのだと分かる。
 どこ行くかなーと言いながら、ぐいっと伸びをした光輝が、二回、三回と咳をした。飲んでいたカフェオレが気管にでも入ったのかと思い、笑ってやろうと彼の顔を見た。
 途端、顔色が瞬時に真っ白になり、苦しそうに顔が歪んだ。口を押さえた手の指の隙間から、体液が漏れだす。何なんだ、何の冗談。
「誰か、きゅ、救急車!」
 私は叫んだ。殆ど悲鳴に近かった。自分が携帯電話を持っているのは分かっているのだが、起こっている事を目の前にして、冷静に救急車など呼べない事も分かっていた。他の客は遠巻きに私と光輝を見ている。
 光輝は口元を押さえたままテーブルに突っ伏し、苦しそうにノートの縁を握っている。その手は大袈裟な程に震えている。

 そのまま、動かなくなった。
 ノートにマジックで書かれた「峰山光輝」の名前は、体液で滲んで輪郭だけを残した。

 光が、失われて行く。


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