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金魚とアイスクリーム
【純文学 その他小説】

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本文-12

 「ようやく『蓑着ノ橋』バス停に着いた。5時を過ぎ山奥のせいかやけに薄暗いと思っていた矢先、狭くくりぬかれた灰色の空からぽつぽつと黒いものが降ってくる。傘を捜そうにも、辺りには何もない。ただ疎らに見えるは民家ばかりで、雨宿りする場さえ見当たらない。雨に濡れるのを覚悟の上、ぼくは取り敢えず例の『ハ汰海』を探しに橋を渡った。運転手によれば、ここからその水溜まり──最近大雨が降っていないから、まだ『水溜まり』なのだそうだ──が見られるという。
 風が冷たい。アイスクリームが空に溶け込んでしまったような靄が辺り一面を覆っていて、視界がはっきりしない。湿った丸太で造られた、今時見掛けない細い橋だ。橋の下も、その向こうにも、只ひたすら空白が続いていて、くらくらする。自分で歩いているような感覚が消えて、この手、両膝が、イソギンチャクのように、動いている。視界が斜めに揺らぎ、時間は一点透視で反復される支柱の移動に絡め取られる。尾尻を銜えた蛇の回転。意識のスクリーンが曇ったまま、ふらふらと足は進んで、ぼくはいつしか橋の中央でしゃがみ込んだ。何も見えない。何も見えなかった」

「お風呂でお湯につかると、いつしか色々なことを考えている。シャワーでは物足りなくて、今日はひさしぶりにお湯を張って肩までつかった。ユニットバスだから底が浅くて、首を突っ込むには足を出さなければならなくなる。わたしほんとは、そう、お湯のなかで1時間も2時間もぼーっと考えごとするのが好きで、下宿する前はいつもみんなの後でお風呂に入り、ゆったりくつろいで過ごした。
 今日は先週、雑貨屋で偶然会った中学校の同級生のことを考えていた。彼は矢野巳幹丈と言って、小学校の頃から何度か同じクラスになることがあったけど、あまり話したことのない人だった。でもあの日、彼はそれがまるで当然だと言うように、わたしを見付けるとやけに素直に声を掛けてくれて、わたしは心底驚きながら、恥ずかしくなった。わたしが彼であったなら、決してわたしに声をかけたりしないだろうに。なんとなく知った顔であるだけに、かえって相手に気付かれぬように逃げ去ってしまうだろう自分が情けなかった。
 誰にでもある恐怖心。あの人は自分を見て変な人だと思うだろうか。あの人はわたしの格好をダサくってたまんないわって思うだろうか。あの人は昔の時のあの人とはまったく違う人で、もうわたしのことなんか思いだしもしないんじゃないか──今のわたしは過去親しかった人でさえ信じることができない。彼がわたしに気付いた時、わたしが逃げたら、彼はわたしを追うだろうか。追いはしない。わたしは彼等にとって、そもそもそれだけの存在に過ぎなかったのだろうか?
 答えは分かっているから、確かめたくない。わたしはずっと、そんな理由で他人を避けていたのだが──長かった前髪をやけにさっぱりと切って、にっと笑いかける彼を目の前に、わたしは今までの彼への評価の書き替えを余儀無くされた。彼が来て、身を引いてしまったわたしが恥ずかしい。こんなわたしに、昔のままの姿をしっかりと抱え込んで心を開いてくれる彼に涙が出そうになった」



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