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雑踏の片隅で
【その他 官能小説】

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卒業-1

 ゆっくりと静かに息を吸って、吐く。
 
 地面に半径一メートル程の円をつま先で削って描いていた。
 体をその円の中心に向けて、足は円周に沿って、弧を描くように動いている。
 円の中心には敵がいた。頭の中に設定した敵が、あたしに拳を打ってくる。
 あたしは体捌きをして、その拳を相手の前に出した掌で受けて、手首と腕の返しで捌いた。
 化勁(かけい)という体術の訓練だ。一言で言うと、相手の攻撃を無力化する技術である。
 
 あたしは、こういう拳法の技術を、物心つく前に祖父から教わった。
 教わったというか、無理やり教えられたものだ。
 普段は優しい祖父が、拳法の練習の時だけは人が変わったように厳しくなった。
 あたしはそれが怖くて、泣きながら練習していたが、それでも祖父は容赦なかった。
 お陰でというべきなのか、覚えた掛け算の九九を大人が諳んじられるように、今でもその体術はあたしの体が覚えてしまっている。
 そして今、この教わった拳法と体術だけが、あたしの過去のすべてとなった。

 一時間くらいだろうか、そんな事をずっと繰り返していると、頭を真っ白に出来るのだ。
 セックスの時の、あの真っ白な感じとは、少々異なっているような気がする。
 いや、同じようなものなのか。どちらでもよかった。
 こうして、体を動かしていると、余計な事が頭の中から消えていく瞬間がある。
 それが心地よくて、あたしは毎日こういう鍛錬を街外れの小さな公園でやっている。

 初秋の朝五時。この時間ではまだ空は薄暗くて星が見えている。
 さすがに、今の時間帯にこんな街外れの公園に訪れる人間はほぼ皆無だ。
 時々、早起きの年寄りがこの公園に立ち寄って、歩いたり運動したりするのは見かけた。
 そんな年寄りがあたしの鍛錬を目にすると、かなり奇妙なダンスか体操をしているように見えるらしく、遠巻きに見物されたり声をかけられたりする。
 
 あたしはこう見えても、年寄りの扱いには長けているのだ。
 何故ならあたしの店、ドラゴンブレスの客の大半が年寄りだからである。
 だが、只の年寄りではなかった。
 金も名誉も持って、飽きるほど女を抱いてきたような、そんな妖怪のような年寄りだ。
 そういう年寄りが求めるものは、性接待とか、そういう程度の低い接待ではなかった。
 ただ、その人に静かに寄り添って、誠心誠意もてなす。
 そんな接待が好まれた。例えるなら、茶道に近いだろうか。お茶が、お酒に変わったようなものだ。
 あたしは、ある男にそういう接遇を叩きこまれて、この店を任された。
 それが喜ばしいことなのかどうかはよくわからないが、経済的には潤っていた。
 
 声をかけてきた年寄りには、挨拶をして、太極拳の型を一つか二つ教えてやる。
 そうすると、健康によさそうだとその型を真似てみて、満足気に帰っていく。
 そして、またあたしは自分の時間に戻ってゆくのだ。
 これが、まあ、いつものあたしの朝の時間という感じだろうか。


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