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月虹に谺す声
【ホラー その他小説】

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月虹に谺す声-8

 黒と銀の狼が月明かりに照らされて狂ったように相手の首を狙って藻掻き合う。その凄惨な様子を、老人と少女は固唾を飲んで見守った。
「爺さん。あんた、一度門に拒まれた人狼は二度と向こうには行けないって事、知ってたんだね?」
 先程、月郎の言葉に老人が驚いたのを、紅蘭は見逃してはいなかった。しかし、老人はそれには応えず、とぼけた顔をして手を差し伸べ、紅蘭を助け起こす。
「…あたしら人狼は、なんでこの世に生まれてきたんだろう」
 老人に抱き起こされ紅蘭はそう呟いた。
「人狼に生まれてきた理由なんぞないさ。それはただの人間だって同じ事じゃ。ただ、生きていく為には立ち向かわなければならない物もある。どんなに人間だって、自分の世界で生きて行かなくてはならなんからの。この世に生きる全ての者にとって、時として世界はあまりに凶暴で、残酷で、そして美しい。じゃから人は世界と和解し、自らと世界を変えていかねばならんのじゃ。お前さん方若い狼は、あの狂った男もそうじゃが、狼の門の向こうにある世界に幻想を持ちすぎてはいかんと思うのぉ。仮にその世界が美しいものだとしても、誰にとっても楽園であるかどうかは判らないからの…」
「だったら、爺さんはなんで門を追いかけるのさ。やっぱ、向こうに行きたいからだろ…?」
「そうさのぅ、儂は…」
 老人の声は次の瞬間、一発の銃声でかき消された。
 騒ぎを聞きつけた野犬狩りが二匹の狼を見て、散弾銃を撃ったのだ。偶然ではあったが、弾の殆どは黒狼に命中し、死の狼は悲鳴を上げてもんどり打った。我に返った月郎はその場を慌てて立ち去ろうとするが、その耳に、死の狼の悲しい呟きが入ってきた。
『これで、やっとこの醜い世界からともおさらばだ…』
 人狼の生命力は強く、銃弾で死ぬことはない。彼らを殺すには銀の弾丸を心臓に撃ち込むか、首を切るか、火で焼くしかない。しかし、普通の生き物と同じく苦痛はあり、瀕死の重傷を負えば動けなくなる。
 黒狼は死を望むように、のろのろと立ち上がり、敢えて牙を剥き低く唸り声を漏らし、その巨躯に恐れを為した狩人はまるで黒狼に促されるかのように銃を乱射した。
 月郎は藻掻く黒狼に何発も何発も銃弾が撃ち込まれるのを後目に、夜の街を逃走した。耳に黒狼の哀れな悲鳴が届くが、それを振り払うかのように全力で街を駈けた。
 黒狼が死を覚悟したとき、その想いに月郎は共鳴した。そして、黒狼に弾丸が撃ち込まれる毎に苦痛が胸を掻きむしった。人を受け入れられず、世界を受け入れられなかった男は人の世界を捨てようとして世界から消えた。そしてそれは月郎の運命であったのかも知れなかったのだ。
 やがて山の中に入ると、人間の姿に戻り、転がり、月郎は天を仰いだ。鼓動が早鐘の様に鳴り、せわしなく息をする。脳裏に、いつかの狼の門を追った時の事が浮かび、ぼんやりと月を探すと、月は轟々と流れる雲の間から顔を覗かせているのが見えた。汗ばんだ額を拭い、大きく息を吐き出す月郎。
 月は白く、大きく、手を伸ばせば届きそうなくらいに克明に見えたが、やはりそれはあまりにも遠かった。

終わり。


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