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掴み取れない泡沫
【大人 恋愛小説】

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15.久野智樹-1

『もしもし?』
「あぁ、俺だけど、今大丈夫?」
『うん、何?』
 唯香は何も悪くない。俺が、ふらふらしていたのが悪いんだ。それでもここで区切りをつけなければ前に進めない。
「別れたいんだ。好きな人がいる」
 電話の向こうから、テレビの音が薄ら聞こえてくる。唯香から声が発せられない。泣いているのか、笑っているのかさえも分からない。電話というツールはとても便利でとても不便な物だ。
『会って、話がしたい』
「会社で会うだろ。それに会っても何しても、俺の気持ちは覆らない。ごめん」
『ストラップの人、なの?」
 電話を持つ右腕に沿って垂れているそれに、左手をやる。
「うん」
『だったら、仕方ないか。分かった』
 電話の向こうで唯香が笑ったように思った。それがどんな笑顔なのかは分からないけれど、とりあえず一区切りついたと思い、静かに通話終了のボタンを押した。

 人を傷つけたくない。誰にでも良い人でいたい。それは自己愛の固まりだったのだと、塁に言われて気付かされた。だけど多くの人間は、俺と同じような思考回路をしているんだと思う。
 でも塁は違う。好きな人に好きだと言い、気に入らなければノーと言う。欲しければ欲しいと言う無邪気さを持っているくせに、好きな人間の事になると自分を餌にしてまで、自分の得にならない事でも、動く。
 寝転がり、手に持つ携帯電話を上に掲げる。そこにぶら下がる革ひものブレスレット。箱に掛かっていた茶色の革ひもも手元に残してあった。君枝と別れてから俺は、暫くブレスレットを右腕につけていたが、もう振り向いてくれない事が分かると、茶色の革ひもで携帯電話に結びつけた。いつか、彼女からこの電話に連絡がくればいい。そう思って結びつけた事を思い出す。
 そう思っていたくせに、唯香に声をかけられれば、断るのが悪いような気がして付き合い始めてしまった。多少の自嘲を込めて笑うと、ブレスレットが少し揺れた。
 考えてみたら、以前もそうだったじゃないか。退学になった星野が俺の家に泊まりたいと言った時だって、断ったら悪いような気がして家にあげてしまった。結果、君枝の事も、拓美ちゃんの事も傷つけてしまった。理恵と付き合い始めたのだって、何度も告白されたからに過ぎない。俺も学ばない男だなぁ。塁は俺よりも俺の腹の中をよく分かっているんだな。弟。いや、塁は俺の兄貴かも知れない。兄弟とキスしたってのも何だか、な。

 ひとつ、ぐんと伸びをして身体を起こすと、少し開けた窓から雨の匂いがした。俺は財布と携帯を持って、雨の中、百貨店に向かった。


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