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朝日に落ちる箒星
【大人 恋愛小説】

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13.太田塁-1

「ともきくーん、家にいますかー」
 ドアに向かって叫んだ。隣で矢部君が「恥ずかしいからやめなよ」とか言っている。恥ずかしい事をしているのはどこのどいつだってんだ。
 中からは声がしない。音もしない。
「ともきくーん」
 もう一度声を掛けると、真後ろから「何だ」と懐かしい声がした。振り向くと、階下から智樹が見上げていた。
「帰ったぞ。一時的に」
 智樹が階段を上がる音がする。頭が見え、上半身が見え、身体が全部見えた時には、恥ずかしながら俺は嬉しかった。久しぶりに見た智樹だった。
「おかえり」
 抱き付きたい衝動に駆られたのはきっとフランスという国にいたからだと思う事にした。
「お前に話があって来た。上がるぞ」
 何だよ、と口端で笑いながらドアを開けてくれた。矢部君は一言も発しない。
 何一つ変わっていない部屋。そりゃそうだ、出国してから四か月しか経っていない訳だから。
「今、お茶いれるから座っててよ」
 お茶なんて飲んでる場合じゃないと思った俺は「茶はいい」と言って立ったままでいた。俺の斜め後ろで小さく佇んでいる矢部君が不憫でならなかった。智樹は矢部君に話し掛けようとしない。
「何、話って。帰国早々」
 テーブルを挟む形で対峙した智樹は、何も思い当たる節が無いような、呆けた顔をしている。
「智樹さぁ、矢部君に悪い虫がつかない様にって俺、お願いしたよねぇ」
「うん、付いてねぇだろ」
 ねぇ、と矢部君に同意を求めているが、矢部君は下を向いてしまった。
「お前に悪い虫がついてる、って事、無いか?」
 口を開けたまま動かなくなった智樹を見て、矢部君の言っている事が本当だったと直感した俺は、もうその場で立っていられなくなり、智樹の方へずんずん歩いて行った。胸倉を掴んだ。智樹の方が背が高いから、少し不格好ではあるが。
「どうしてだよ、何で他の女とヤッたんだよ」
 自分でも驚くほど冷静で冷徹な声が出た。智樹は俺に視線を下した。「帰れないから泊めてくれって頼まれたんだよ」
 俺は握った智樹のシャツに更に力を込め「泊めてやる代わりにセックスしてもらったのかよ」と詰め寄った。矢部君に目をやると、彼女はその場にしゃがみ込んでしまっている。
「違うよ。俺は何もする気はなかった。彼女が俺に乗っかってきたんだ。あとは男だったらお前も分かるだろ」
 俺の右手に硬い物がぶつかる感覚があり、後からじわりと痛感が染みてきた。智樹の頬を殴ったらしい。
「わかんねぇよ。俺はもし矢部君以外の女に乗っかられたって、もしそれで勃起したって、セックスなんてしないね。そもそも、家に泊める事もしないね。何で家に入れた?」
「終電ないし、傘もないし、あぁ、雨降ってたんだよ。他に友達もいないしって言われたら、上げるしかないだろ」
 智樹の考えが俺には分からなかった。家にあげる以外に方法なんていくらでもあるだろう。
「歩いて帰れとか、タクシーで帰れとか、矢部君の事を考えたらそれぐらい思いつくだろ」
 握りしめた智樹のシャツからボタンがぽろりと落ちた。俺は手を離した。
「セックスができない矢部君が、他の女とセックスしたって事実を知ったらどれぐらいショックを受けるか、お前、考えたか?」
 和室の柱にしゃがんだまま寄り掛かってすすり泣いている矢部君の隣に歩いて行き、背中を擦ってやる。矢部君と俺は、同じ気持ちだ。俺は、俺の好きな智樹が、矢部君じゃない女を抱いた事に、かなりショックを受けていた。俺と智樹は身体で繋がる事は一生ないだろうけれど、矢部君は俺の写し鏡みたいなものだから。一緒に智樹の事を想ってきた同士であり、恋人だから。
「君枝、それ誰に訊いた?」
「そんな事、問題じゃねぇだろぉ!」
 俺は声を張り上げていた。涙すら浮かんでいた。全く関係ない。誰が言ったかなんて関係ない。智樹と誰かがセックスした。それが問題なんだ。
「君枝、ごめん。って謝って済む問題じゃないんだろうけど。ごめん。もう絶対しないから。言い訳もしない」
 智樹の声に、矢部君のすすり泣きがしゃくり上げに変わった。しゃくり上げながら、何とか言葉を紡ごうとしているのが分かった。
「言い訳、してよ。ちゃんと、智樹が、悪くないんだって、言い訳して。星野さん、あの人が悪いんだって、言い訳、してよ」
 俺は智樹を見上げていたが、智樹は困ったように髪をぎゅっと握って、その場に座り込んだ。
「さっき言った通りなんだ。可哀想だから家にあげて、電気消したら乗っかって来て、色んなところ触られて、俺も男だからその......反応しちゃって。ごめん、そもそも家にあげたことが間違いだった」
 すっと矢部君が立ち上がり、トイレに向かった。俺はその後ろを追って、背中を擦ってやった。何も出なかったけれど、吐気と闘っていた。
「大丈夫か?」
 無言のまま頷いた矢部君は、真っ青な顔に真っ赤な目をしていて、珍種の動物の様だった。
「俺、矢部君の家まで送ってくるから。悪いけど智樹、一週間ここ貸してくんない?多少払うから、金」
 こんな話は全て終わりにしたかったから強制的に話を切った。あとは矢部君と智樹の間で何とかさせよう。俺は結局、身体の問題には関わる事が出来ないのだから。
「それは別にいいんだけど、今週末、流星群見に合宿なんだよ。もし塁が忙しくなければ一緒にどうだ?」
 それまでの話とは全く関連性がない話で俺は戸惑ったが「明日明後日で用事は終わるから、今からでも俺の部屋が確保できるなら」と答えた。大部屋だから人数は関係ないらしい事が分かり、結局俺も参加する事にした。
「じゃ、とりあえず矢部君は送ってくる」
 そう言って珍種の矢部君の手を引いて、智樹の家を出た。


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