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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第1話-10

「私は、怖いです。この曖昧な時間が、人を狂わせてしまうような気がして…。あの時も、こんな赤すぎる空だった」
「…あの時?」
怪訝な顔をして、圭輔は尋ね返す。
「私、先生って嫌いなんです。小学生の時の担任に性的ないやがらせを受けたから。それ以来、教師がみんな信じられなくなった」
圭輔は思わず、絶句する。
彼女にこんな過去があったとは思いも寄らなかった。
英里は相変わらず横を向いたまま、淡々と話す。
「やめてって泣いても、ずっと胸を掴んだまま…声も出せなくて、怖くて、仕方なかった。なのに、両親も、誰も、私の言う事を信じてくれなかった。あんないい先生が、そんな事するわけないでしょうって…」
胸が膨らみ始めて、女への体の変化の兆しが現れる、ちょうど思春期。自分が女なのだということをはっきり自覚し始める時。そんな目に遭わされては、かなりのトラウマになってしまう事は間違いなかった。
「最初は男性恐怖症に陥って、それぐらいの年齢の男の人の顔を見るのも辛くて、怖かった。今はこれでも、だいぶ克服した方なんですけど…」
無理矢理引き攣った笑顔を見せる彼女が痛々しい。自分の傷を曝け出す彼女の横顔に、沈みかけた赤黒い夕陽に重なって、ますますそう感じさせた。
「でも、未だに先生嫌いは直ってないんですよね。だから、この前は本当に助かりました。あの先生、図書委員の担当なんですが、会う度にしつこく家まで送るとか、食事に誘われて困っていたので。ありがとうございます」
一気に話し終えた後、英里は圭輔の方に向き直って、柔らかく微笑んだ。
「……急に、こんな話してしまってごめんなさい。本当は、誰にも弱みを見せたくないんですが、助けてくれた圭輔先生になら、わかっていて欲しかったから」
圭輔は、熱い何かが全身を駆け巡っていくのを感じた。それと同時に、彼女のことを護ってあげたくてたまらない気持ちになった。いつも気丈な英里なだけ、より強くそう感じる。
対面に座る彼女の華奢な両肩を、抱き寄せたい。流れるような美しい黒髪に触れたい。
ぐっと、拳を握って、そんな感情を、何とか押し留めた。
自分は、もう少しでいなくなる。無責任な行動を取るべきではないと思ったからだ。
教師志望の自分は、きっと彼女に一番相応しくない存在。
結局、気の利いた言葉一つ掛けられずにただ押し黙ってしまった。
そんな圭輔の葛藤など知る由もなく、英里は無防備な笑顔を彼に向けた。
「こんなに教師嫌いの私に好かれたんですから、圭輔先生はきっと良い先生になれますよ?絶対。……あっ、ほら!見て下さい、夜景がとっても綺麗です」
照れ隠しのように慌てて話題を変えて、英里は観覧車の窓の外を指差した。
完全に日が落ちてしまい、街の明かりが点々と灯り始めていた。
「…そうだな」
圭輔は、感情を必死に押し殺して、何とかそう返事をした。
これ以上彼女の話を聞き出そうとしなかったが、自分の中で彼女の存在がますます大きくなったのは間違いなかった。
こんなに、自分の胸が騒いだのは初めての経験だった。彼女の無邪気さ故の飾らない言葉が、自分の心を強く揺さぶる。
無事、英里を家に送り届け、1人になった車内でも、彼女の事ばかり考えてしまう。
もっと、彼女を知りたくてたまらない気持ちがある事は、最早確信に近かった。



「せんせ〜さようならぁ〜!」
その声のトーンと違わず明るい容貌の少女が、別れの挨拶をしながら元気に廊下を駆けてゆく。
そんな彼女を見て、英里は少々羨ましく感じた。
やるせない気持ち抱きながら、机の上に突っ伏す。
一体どれだけの間、こうしていただろう。
下校時間はとうに過ぎ、部活動以外の生徒は大方帰宅してしまった、閑散とした教室内。
あんな光景を目の当たりにすると、生まれ持った性格や性質はどうしようもないものだとわかってはいるが、暗い自分自身が浮き彫りにされたようで、胸が痛む。
自分にはあんな風に先生と接することはできない。あの娘のように気安く話しかけられたら、きっと印象も良くなるだろう。
その女生徒に対して笑顔で挨拶を返す圭輔が英里には眩しかった。
先生は、誰にでも優しい。決して、自分だけが特別なのではない。勘違いしたらいけない。
…昨日は、結局何の進展もなかった。
それどころか、一方的にあんな暗い話をしてしまって、重苦しい空気を作ってしまった。正面に座る彼は、どことなく困った表情を浮かべていたように思う。
短い教育実習生の期間だけの、ただの生徒の一人にすぎないのに、何故今までほとんど誰にも打ち明けずにいた過去を、彼にあっさりと話してしまったのだろう。雰囲気がそうさせたのだろうか。
あの後、彼は何も言わなかった。引かれてしまったのだと思うと、酷く胸が軋む。
彼に対して最低な事をした自分の話など、やはり簡単には信用しないだろう。
こんな切ない気持ちを感じるのは初めてで、昨日はおぼろげながらもその正体に気付いた。
しかし、それをどうしたら良いのかわからず、持て余していた。
(…ううん、もうわかっているはず)
どうしようもならない思いは、さっさと捨ててしまった方が良い。自分自身の軸が狂う前に。
彼がいなくなってからずっと辛い思いを抱き続ける位ならば、できるだけ早く消さなければ。
やるべき事はわかっているのに、それが簡単にはできなかった。
―――観覧車の窓から見た、闇に覆われる直前の夕焼け空の茜色。一番大嫌いな時間。
昨日は、全然嫌だと思わなかった。恐怖が甦りもしなかった。
傍にきっと、あの人が居たから。


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