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 僕は確かに,浅海が打越に好意を寄せていたことは聞かされていた。聞かされてはいたのだが。僕は僕で,打越を気にしていた。迫られていたのだ。浅海が,彼女自身の気持ちを僕に打ち明ける前から。だから,許されると思った。否,許されると思いたかったんだ。都合のいい理由をつけて,自分を正当化しようとしていた。打越を,真に愛していたわけでもないのに。僕はきっと,自分に酔っていたんだろうと思う。あんなに美しい,年上の男に迫られている自分に。女,として。
 ぎょろっと。死体の,僕の瞳が動く。僕は恐ろしくなった。これから起こることを知っていたからだ。幻の僕が消えてしまうことを,知っていたからだ。身体全体が,感覚の全てが,それを悟っていた。這い上がろうと,懸命にもがく。そして,叫ぶ。浅海待って,ごめん。彼女は穴の上から,僕を見下ろしていた。その顔は,やはり笑顔だった。美しく,整いすぎた笑顔だった。僕が,打越とキスをした,あの日の。あの時見た,彼女の笑顔だった。
「ごめんね立花。でもね,あんなはもう,死んだんだよ。知ってるとは思うけど,打越は,女の身体が欲しいだけなんだよ。もてるって,そういうことだろ。最適を探そうとしてしまう。愛がなくてもね。私も,打越と外を歩ければ,それでいいし。大人の男女って,そういうものでしょう。さっきのあんたみたいに,嫉妬したりはしない。ごめんね立花。でも,故意に殺したんじゃないんだ。ごめんね立花。それから,ありがとう。バイバイ,」
 いつの間に,煙草をくわえている彼女の,浅海の,歪んだ笑顔を見ながら。ああそうか,浅海が着ているのは,「喪服」というんだっけ。そう思い出しながら。僕は,背後の死体の腕に絡まれ,引き寄せられた。宙に手を翳す。空が青い。桜の木と,コントラストが美しい。目を閉じた。美しいものを,見るのが恐くて。あいつの言葉を思い出しながら,消えていった。教室に響きわたった,澄んだ声。打越の,綺麗な声。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの あふこともがな。和泉式部の有名なうたですね。愛するものにたいする,強い執着心が,窺えます。みなさん,このうたをどう思われますか。私は,このうたに彼女の醜さを見いだします。永遠の愛など,自分に対する懸想でしかないのですから。」
 泣くことさえ忘れずに。僕はただ……消えた。


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