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もうひとつの心臓
【大人 恋愛小説】

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4 令二-1

 俺は酒が苦手だ。それは分かっているが、社会人になってから、乾杯の1杯は飲み干さなければいけない、という事を学び、それを忠実に守っている。俺はその1杯で酔えるのだ。何とも安上がりな男だ。

 社員寮までは自転車で帰る。少なくとも自転車が運転できる程度まで酔いを覚まさないと――新人歓迎会の時の悪夢が蘇る(とは言え俺には記憶が無い。翌日皆の冷たい視線に刺された思い出しかない)。
 こういう時はいつも、元課長(散らかった禿)が「うどん、食ってくか」と誘ってくれたもんだ。その課長無き後(死んではいない)、さてどうした物かと考えていたが、志保ちゃんが一緒にお茶をしてくれるらしい。同じ部署に勤めている事もあり、研修の帰りや同期会の後等に、お茶に付き合ってもらう事は結構ある(勿論俺が支払う)。

 お会計を済ませてぞろぞろと居酒屋の外に出た。
「じゃ、2次会行く人は駅横のカラオケで」
 幹事がそう言うと「おっしゃいくぞー」と誰かが声を上げた。俺と志保ちゃんはその一団とは別方向へ歩き出した。ビルの2階にあるカフェに入った。

「ここは俺が払うから」
 好きな物頼んでよ、と言うと、志保ちゃんは鞄から自分の財布を取り出した。
「いいよ、同期なんだし。自分で払う」
「いや、俺が誘ったんだから俺が払うから」
 ヌメ革の財布を取り出し、レジ前にいた志保ちゃんを肩でズンと押し出した。酔っていて足元が覚束ず、思ったより強く押し出してしまった。
「はい、飲みたいものは?ケーキ食べてもいいよ」
 志保ちゃんは苦笑して「じゃぁカフェモカのトール」と答えた。
 じゃ、席取っておくから、と志保ちゃんは窓際に向かった。

 トレイにコーヒーとカフェモカを乗せて、志保ちゃんの座るテーブルにトレイごと置いた。テーブルの横にある壁(と言うべきか?)は足元から天井までがガラス張りになっていて、外を走る電車や、歩く人が良く見えた。

 俺はずっと志保ちゃんに訊きたかった事を口にした。
「志保ちゃんは、どこかのお嬢だったりするの?」
「あぇ?はぁ?」
 俺はゴホンッと咳払いをひとつして続けた。
「何と言うか、育ちが良さそうに見えたからさ。御両親が凄い人とか、社長とか、そんな風に見えるんだけど」
 何故か分からないけれど、黙ったまま志保ちゃんは俺の目をじっと見つめた。見つめ続けた。いい加減恥ずかしくなって目を背けようとした瞬間に、口を開いた。
「両親代わりの人はね、凄く良く育ててくれた。私ね、施設で育ったの」
 ハッと息を飲んでしまった。飲んだ音が彼女まで届いたかもしれない。ここは動揺せずに聴くべきだったんだろう。あぁ何でこんな事訊いちゃったんだろう。俺のバカ。タイムマシンどこだぁっ。
「あ、気を遣わないでね。気にしてないから。隠す事でもないし、鈴宮君になら話しても大丈夫かな」
 そう言うとカフェモカのカップを両手で覆った。その手を両頬に添えた。「温かい」と言った。その仕草が、いつもの志保ちゃんよりもとても幼く見えた。

「4歳の時に母親にね、施設の前に捨てられたの。4歳だよ、ばっちり記憶してるよ。父はいた記憶が無い。それから施設に入って、義務教育をきちんと終えて、高校・大学と奨学金を貰って。ほら、自治体の奨学金って、就業3年でチャラになったりするじゃない?そういうの使ってさ。だから入社直前まで施設にいたの」
 気を遣わないでと言われても、何不自由なく育った俺には、何と言っていいのか分からなかった。
「彼氏とはいつから付き合ってるの?」
 俺、そんな事しか考えてないと思われちまうよ。まぁ、そんな事しか考えてないけど。「中一の時から付き合ってる」
「え、中一?長ぇっ」
 自分は女をとっかえひっかえしていた時期に、志保ちゃんは1人の男を一途に思っていたという事か。そりゃ人間全否定されても文句は言えない。

 志保ちゃんが、ガラスの下を通り過ぎる人をじっと見つめ、一瞬、空気が張り詰めた。が、すぐに視線をこちらへ戻した。目に、動揺の色が見えた。
「大丈夫?」
「大丈夫、何でもない」
 目が泳いでいた。知り合いでもいたんだろうか。酷く狼狽している様子だ。こんな志保ちゃんを見るのは初めてだった。
「あの、鈴宮君は、まだ3人の彼女とうまくやってるの?」
 急に話を振られて驚いたが、志保ちゃんの施設話を突き詰めて行くよりは幾分マシだ。3人の彼女と?そりゃ上手くやらなければ、3人とは付き合えないのだ。
「そりゃ上手くやってるよ。新潟にいる昔からの彼女には結婚を迫られて、ちぃっとばかし困ってるけどね」

「鈴宮君って、言い寄られたら拒否できないタイプの人間でしょ」
 さっきまで揺れていた様に見えた瞳は、薄い茶色をまっすぐにこちらへ向けている。俺の心理を読まれているようで驚いた。
 「痛いとこ突くねぇ」
 よっぽど嫌いな奴じゃなければ、俺を好きだと言ってくれる人を邪険にできないのだ。俺に愛想を尽かして、相手から別れを切り出してくれるのを待つ。そんな風にこれまで過ごしてきた。
「イケメンは辛いね。イケメンの彼女もまた然り」
 2人のコーヒーカップが空になった。
「そろそろ大丈夫そう?」
「もう大丈夫。チャリンコ乗れるよ」
 そう言って、2人立ち上がった。俺はトレイを持って返却口に返却し、外階段で待っていた志保ちゃんに追いついた。


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