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キャッチ・アンド・リリース
【大人 恋愛小説】

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40 リリース-1

 その日、将太は珍しく私が起きている時間に帰ってきた。チャンスが訪れた、と思った。

 「将太、話、していい?」
 部屋着に着替える手を止めずに「何?」と答えた。
 「家をね、出て行こうと思う」
 「――はァ?」
 鳩が鉄砲玉を食らったような顔とは、これを言うのか。Tシャツに片腕だけ突っ込んで、動きが止まっている。
 「もう決めたの。離婚したい」
 「ちょ、え、待ってよ、何それ勝手に」
 Tシャツを頭からかぶりながらソファに座って「どういうこと?」と尋ねる。

 「あのさぁ、お互いが別の方向を向いてるし、セックスレスでしょ。まずはそれ。」
 確かに、と言うように将太は頷く。
 「で、前にメールのフォルダを作りたいって言った時、みゆきさん?という人からのメールを見てしまいました。それだけなら許せるけど、送信メールには私に対する不満が書き連ねてありました。そしてお金。お義母さんに借金するほど使い込んでる。これじゃ今後子供ができたって、生活していけないでしょ」
 将太はソファに座って俯いている。床に頭が付きそうな勢いだ。頭に上った血液が元に戻れず顔を赤くしている。

 「みゆきとメールしてた事は、ミキにも責任がある。ロンドンに行く事、勝手に決めたでしょ。いくら好き勝手やって良いって言ったって、そんな大きな事を相談なしで決めてくるなんておかしいじゃん。それで何だか寂しくなって、みゆきと会ったりしたんだよ」
 下を向いたままでそう言う将太に言い返した。

 「じゃぁ前もってロンドン行を相談していたら?相談されたことで満足?それならメル友に会わなかったって事?勘弁してよ。責任転嫁も程々にしてくれ」
 部屋の柱に寄り掛かって、立ったまま腕組みをして私は、将太を見下ろしていた。
 「私も好き勝手やってきて迷惑かけてるから、慰謝料はいらない。新生活に必要なお金を少し負担してくれたらそれでいいから。今から気持を変える事はないから。それと、今日から私、一人で寝るから。何か言いたい事は?」
 「少し考えさせてくれ」
 俯いたまま顔を上げない将太は多分、泣いていた。それでもここで、伝える事は伝えないと。

 「部屋探しして、決まり次第出て行くから。お義母さんには将太から言ってね。お金の事はお義母さんと相談して」
 踵を返して、自分のPCを置いている和室に入り、襖を閉めた。押入れに入っていた客用布団を一組取り出し、床に敷いた。
 そして横になって天井を見つめた。将太がいるリビングは静まり返っていた。
 
 日付が変わってもなかなか寝付けなかった。ようやっと腰を上げたらしい将太は、シャワーを浴びに浴室へと向かう足音がした。
 私はタキにメールした。

 『おす。さっき将太に離婚を切り出した。考えさせてくれとは言われたけど、考えを変えるつもりはないと伝えた。頑張ったぞ』

 時間帯を考えて、返信は来ないと思ったが、夜勤だったタキからの返信は早かった。

 『良くやった。今度スタジオ帰りにケーキ奢ってやる』

 いつでも味方だと言ってくれたタキの、真っ直ぐな顔を思い出す。また少し涙が滲んだ。
 
 
 「じゃぁ、レモンとレアチーズのケーキと、ショコララテのセットで」
 「お前奢りだからって高い飲み物頼んでんじゃねーよ、コーヒーにしろっ」
 ケーキが美味しいこの店は女性客で込み合っていた。狭い席しか空いておらず、ギターとベースはレジで預かってくれた。
 タキのいう事なんて聞かず「ショコララテで」と言い切って、席に着いた。

 「とりあえず、良かったな」
 タキはコーヒーカップをショコララテのグラスにチンと触れさせて音を立てた。
 「そだね。まずは第1歩。これから色々と清算して行く」
 「男のね」
 「そーね」

 ショコララテは思ったよりも甘さが控えめで、ガムシロップを追加した。ストローで混ぜつつ、続ける。
 「全てを順調に清算すると、一体誰が残るのか、誰か残ってくれるのか分からないけど、他人に言っても恥ずかしくない恋愛に、最終的には、する」
 「良く言った。まぁこれまでのごちゃごちゃした感じも、いい経験になったんじゃない?好きなようにしろって煽っておいてアレだけど、ミキは人生愉しんでるよ」

 扇形に広がったチーズケーキをひと口大にフォークで切り、口に運ぶ。酸味が拡がる。
 「私、恋愛依存症なのかなぁ。捨てられるのが酷く怖いんだよ。だから、身体の関係でも何でもいいから、繋がっていたいと思っちゃうんだよね」
 「そりゃ誰だって捨てられるのは怖いよ。でもアンタは、捨てるのも怖いんでしょ。全部拾ってたらキリが無いんだよ。いらないものは捨てないと。清算するって事はそういう事だよ」
 そっかぁ、と呆けたような返事をして、その後に言葉が続かなかった。もう一口、ケーキを放り込む。

 タキは何も言えない私に代わって続けた。
 「まずは旦那を捨てたでしょ。それで1歩だよ。役所に行ったり、苗字変えたり、色々大変でしょ?」
 「苗字は、めんどいから小岩井のままで、自分の戸籍を作っちゃうことにした。何か将太の名残があって悔しいけど、早くいい相手見つけて、また別の苗字に変わるから」
 離婚すると、旧姓を名乗るか、現姓のままで自分を戸籍筆頭者とするか選べるのだ。銀行、クレジットカード、会社、何もかも苗字を戻すことを考えると酷く労力がいるのだ。

 「早く別の相手見つけるってアンタ――。1度失敗してるんだからね、お母さんそんなの許しませんからねっ」
 げんこつにカァーっと息を吹きかけるタキがいた。


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