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キャッチ・アンド・リリース
【大人 恋愛小説】

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4 傷跡-1

 「いい加減片づけたら?足の踏み場もないじゃない」
 聞き飽きたけど言い返せない母の言葉に「はいよー」と気のない返事をし、本当に足の踏み場の無い4畳半の部屋を見渡した。少し前までは兄の部屋だったが、家出同然で兄が出て行ってからは私が使っている。
 半分はベッドが占拠しているし、机にPCデスク、それだけで足の踏み場なんて殆どないのだけど、猫の額程の「床」という平面に鞄、洋服、雑誌が累々と積み上げられているのだ。

 もう21歳だというのに、母に注意されて部屋を片付けるなんて――。恥ずかしい。レイちゃんの部屋はいつ行っても片付いている。
 今度秘訣を聞いてみよう。とりあえず床の荷物を次々にベッドに載せて、ベッド下収納が引き出せるスペースを作る。さて、片っ端から片付けるぞ。
 飼い猫が部屋を覗きに来たので、シッシと言って追い返した。猫はフローリングで目測を誤って横滑りながらキッチンへ逃げて行った。カーレースさながら。
 洋服の山を整理していると、見慣れた男物のジップスェットが出てきた。

 「ユウのだ――」
私が贔屓にしている店で、「これ、ユウに似合うよ」と勧めたスェット。男物だけど、背が高い私でも着る事ができるので、借りていた。手足の長いユウの姿を思い出す。ジップを首まで上げて、口元まで隠して寒そうにしている姿。
 それなりのブランド物なので、さすがにこれを借りパクしておけない。どうしよう。
 何気なくスェットに顔を近づけて、ユウの痕跡を探した。そこには私の部屋の匂いしかなかった。ユウの煙草の匂いはもう、消えていた。ジッパーを全部締めて、顔をうずめるとユウの匂いがするスェットだったのに。

 押入れの1番手前にスェットを仮置きして、片付けを進めた。自分の洋服を手に取る度に、そこにユウの痕跡がある気がしてしまう。初詣に着て行ったっけ、このニット。このカーディガンはバレンタインの日に着てたなぁ。我ながら、よく覚えている。
 この部屋に、ユウの匂いがついていないか、思い切り息を吸い込んでみたが、マルボロの匂いは無い。当たり前か。この部屋に来なくなってどれ位経ってるんだよ。私の部屋に来ると必ずベッドに横になりながら話をしていたユウ。帰るとシーツに煙草の匂いが残っていた。いつも。
 「喪失」を実感し、目の前が曇った。


 片付いた部屋は、1週間と経たずに元の姿に戻った。私がいない間に誰かに荒らされたんじゃ?と突拍子もない考えに至る無責任さ。
 とりあえず机について勉強するために、椅子を引くスペースを作り、勉強を開始する。
程なくして、携帯電話に着信があった。液晶には「田口」の名前。
 「あ、もしもし、俺」
 「俺、じゃねーよ、オレオレ詐欺なら切んぞ」

 田口と話す時は、私の言葉遣いが悪くなる。男友達でこれだけ砕けで話が出来るのは、田口しかいない。
 椅子から降りて、足物の荷物を踏まないように気を付けながら、ベッド上へ移動する。微生物学の教科書がつま先にあたって傾れ落ちた。もうすぐ携帯のバッテリーが無くなりそうだった事を思い出し、通話をしながら電源を確保する。

 「成人式以来じゃん。元気だった?」
 「うん、お前は?」
 「元気だけど、元気じゃなかった事もあったけど、まあ八割元気だよ、おおよそ」
 酷く曖昧な表現をする。そうすれば、何か察してくれるかな?と思ったからだ。

 田口は中学の同級生でユウの事も知っている。田口とユウは遊び仲間ではないが、昨年の成人式の後に飲み屋で一緒になってから、私と田口は時々連絡をとりあうようになった

 「小田とは?うまくいってないの?」
 ほらきた、田口エスパー。電話の会話だけで大抵の事を読み取ってしまう田口の力を「田口エスパー」と勝手に呼んでいる。
 「少し前に別れたよ、エスパー。忘れ形見のスェットと同棲してます。」
 「何それ、分かり難いんだけど」
 開けっ放しになった押入れから、少し垂れ下がり気味に置いてあるスェットに目をやった。

 「借りていた服をね、返し忘れているんだよ。」
 「何で返さないの?」
 おい、そこエスパーしないのかい、と思ったが口にはしなかった。枕に突っ伏す。
 「新しい彼女と、にゃんにゃんしてる所に洋服返しに行くなんて、できませんよぉ。」
 「お前さぁ、借りた物なんだから、『返します』って言って返せばいいだけじゃん。」
 正論を言われているので返す言葉もない。
 「はい、そうなんです。その通りです。返します。今度返してきます。」
 
 やや沈黙があって、田口が言った。
 「――一緒に――、一緒に行ってやろうか?」

 それは彼の単なる優しさなのだが、喪失感をたっぷり胸に抱えている私にとっては、喪失感を多少なりとも埋めるに足る言葉だった。だけどここで男の優しさに甘えるような私ではない。と、自分のキャラクターを守ろうと必死な私。
 「いえいえ、手前のケツは手前で拭きますから」
 「いいよ、明日バイクでブーって行けばいいじゃん。帰り、飲みに行こうぜ」
 そこには田口の有無を言わせない意志のような物があり、無下に断るのもなぁと思って快諾した。

 「バイクでって、それを世間では飲酒運転っていうんです」
 「バレなければただの運転だから」
 壁にかかっているカレンダーを見て、明日は「両親伊豆旅行」以外、自分には予定がない事を確認した。
 そういえば、私の事を「お前」って呼んてるの、ユウと田口ぐらいだな。そう思った。ユウに関してはお前と呼んで「いた」だな。過去形になってしまった。


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