Pandemonium Ⅳ-5
きっとラスプーチンを睨むエステルの瞳には、先ほどまでの恐怖の色は無い。
「へえ……驚いたな。何を『見ていた』のかは知らないけど、あの状態から立ち直るなんて」
「私……に、薬を……盛ったわね……」
エステルがなんとか搾り出した言葉に、ラスプーチンは手を止めたまま口が裂けんばかりに唇を釣り上げる。
「ご名答。さすがは執行者ちゃん。鋭いねえ」
小馬鹿にした口調は崩さずに、ラスプーチンは小瓶を取り出す。エステルに見せつけるようにかざしたその中身は、透明な液体である。
「これね、効果が凄くてさ。そこのメス豚程度の人間に使うと微量でもキマっちゃうんだよね。『いい夢旅気分』、ってやつ？ 本来は大陸の貴族連中……おっと、君たち流に言わないとわからないかな？ 大陸の『魔族』専用の薬だったみたいね」
「……アナスタシアを……使ったのね。卑怯者……」
エステルの舌にはいつの間にか甘い痺れが広がっている。そして彼女の隣に寝転がるアナスタシアは薬の症状で蕩けきっている。これが意味することはひとつだ。先程アナスタシアに舌まで入れられた接吻。あのときにアナスタシアが口に含んでいた薬がエステルの体を蝕んでいたのだ。
精一杯瞳に敵意を浮かべてエステルはラスプーチンを睨む。既に先ほどまで彼女の頭を恐怖で埋没させたラスプーチンの『魔術』はエステルの眼には映っていない。今の彼女は、卑怯な手口を使う目前の男に対する怒りが恐怖を塗りつぶす力で沸き上がってきていたのだ。
「僕が罠を張って、君がそれに引っかかった。ただそれだけのことでしょ？ 僕を卑怯と呼ぶなら、もうちょっとえげつない手を使わせてから呼んで欲しいね」
「くっ……正々堂々と……戦いなさい……！」
薬と鎖で体の自由が効かず、口も上手く回らないエステルはその分の情動を瞳に宿した。敵に対する憤怒と、強い侮蔑の表情だ。捕食される寸前の獲物が見せた悪あがきとも言える視線に、だがラスプーチンは心を揺り動かされた。
「く、クククッ……いいね、その眼。僕のことなんか、薄汚い魔族のクソッタレどもと同レベルのゴミ程度にしか思ってないんだろう？ 君と僕と魔族、そんなに違いがあるの？ いいよ……いいよ君。ゾクゾクするほど虫唾が走る宗教キチガイだね」
ラスプーチンの様子に、エステルは僅かにたじろいだ。彼女が予想していた反応の、どれにも当てはまらない表情をこの男が仮面越しに浮かべたからだ。それまで自分以外の全てを見下し、詠うように語る男の優雅で不快な語り口は一変し、熱っぽく感情を剥き出しにして話すラスプーチンは、興奮していた。そう、興奮だ。極上の玩具を手に入れ、これから弄り倒して壊し尽くすことができる興奮である。
今のラスプーチンは、その眼窩から不気味なモノが這いずり出てくる訳ではない。ただの痩せ気味の仮面で顔を隠す男だ。だが、エステルは確かに背中に冷めた電撃が走るのを感じた。
「ふふ、それに僕『正々堂々』とか『戦う』っていうの、興味ないんだよね。僕が好きなのは……」
ラスプーチンの異様な雰囲気に飲まれていたエステルは、男の腕が彼女に向けられたことに一瞬気が付かなかった。
「……えっ？」
エステルのその致命的な隙の乗じて、ラスプーチンの腕は芸術的な器用さでエステルの胸甲の下を潜り、その小ぶりな胸の先端、未発達で未開発の乳首を強く、強く摘んだ。
「……んはあっ！」
握りつぶすつもりかと疑いたくなるほどの強さで乳首を責められたエステルの口は、しかし悲鳴ではなく甘い声を漏らした。乳首を摘まれた直後、エステルの体に鋭い痛みが電撃のように駆けめぐったが、数瞬遅れて甘い波が体を包み込んだのだ。それは少女が未だかつて経験したことのない不思議な感覚であった。
「僕が大好きなのは、君みたいな人間を堕とすことなんだよね」
自分に生じた理解不能の感覚に戸惑うエステルは、男の言葉にどくん、と心臓を高く鳴らした。