Pandemonium Ⅲ-2
「チッ……しつこいん……だよッ！」
無言のまま殴られ続けるアルバーメフの姿をどう捉えたのか、エイダが放った左の鉄球の一撃は真っ向から叩きこむ強烈な一撃の筈だった。だが、エイダの顔が驚愕に歪む。
「……待っていたぞ」
聞こえてきたのは、アルバーメフの先ほどまでと変わらぬ静かで重厚な声。その左腕で、何度となく繰り返されたようにエイダの放つ鉄球を防いだのだ。ただひとつ先程までと違うのは彼が左腕でしっかりと鉄球の柄を握っていることだ。当てては動き、動いては当てる、芸術的な戦闘を行なっていたエイダの足が、初めて止まった。
「この隙を、待っていた！」
巨人が吠える。その咆哮と同時に、大槍を横薙ぎに振るう。
紙一重。回避を諦めたエイダが、アルバーメフに掴まれて離れない鉄球を捨て、右腕の星で大槍を受け止めたのだ。
「グゥッ！」
金属同士が衝突する鈍い音が生じる。完全にアルバーメフの一撃を受け止めることに成功したが、巨人の一撃は重い。星で攻撃を受け止めたにも関わらず、華奢なエイダの体をそのまま吹き飛ばしたのだ。まるで小石を叩いたかのように、人間一人が吹き飛んでいく。エイダの体は宙を舞ったが、くるりと一回転すると、アルバーメフから離れた床に着地した。
「……残念ね。私を仕留めそこねて」
エイダは笑い、アルバーメフを挑発的に見据える。
「……成る程。これが執行官か、確かに……強い」
エイダの言葉には答えず、アルバーメフは自らの身体に刻まれた傷を眺めている。白銀の甲冑は、今や彼自身が流す血が闇を吸い込み、黒い鎧に変色していた。だがエイダは彼の挙動の軽さから、彼が対してダメージを負っていないことを悟った。ぎりり、と音が聞こえそうなほど歯を食いしばる。
本来星の一撃は魔族相手であっても一撃で致命打を与える威力を持つものだ。それが、常識外れのアルバーメフという相手には、通用しなかったのだ。勿論、しっかりとアルバーメフが急所を守っていたことも大きいが、それでもその防御力は凄まじいものだ。
「しかし……何発食らったかな？ 10発、20発か？ この通り俺は生きている。……そして状況は圧倒的に俺が優位を取った」
「へえ……いつアンタが優位になったって？ なんならあと100発ぶん殴ってやっても構わないけど？」
「できるのか？ 武器を一つ失い、そんな青息吐息の状態で？」
問われた言葉に、エイダは返すことができない。いつの間にかアルバーメフの言うとおり、彼女の肩は荒い呼吸で上下し、額には汗が浮かんでいたからだ。鼓動も早鐘のように彼女の体内を揺らしている。『星』が絶大な威力を持つのは、その重量と鉄の密度で敵を破壊するためだ。それ故に本来は一撃必殺がこの武器の特徴であり、欠点でもあった。エイダは殴っても倒れぬアルバーメフ相手に何度も何度も鉄球を振り、逆にアルバーメフの一撃を喰らわぬように動き続けていた。それが短時間の間に彼女の体力を奪っていたのだ。
そして何より、攻撃を受け止めるためにエイダは『星』を一つ捨ててしまった。今はアルバーメフの手にその片割れが握られ、彼女が持つ武器は一つだけだ。
この状況を見れば、確かに彼女が圧倒的に不利である。
アルバーメフは無言で彼を睨む彼女の前で、その手に握ったエイダの『星』を投げ捨てた。星は音を立てて床を滑り、エイダの足元で正確に止まった。
「……どういうつもり？」
「お前は確かに『戦士』だ。それをこれから打ち倒すなら、万全の装備の戦士を打ち倒す。……それが俺の流儀だ」
「魔族の癖に、騎士道精神ってことか……」
「違うな。俺が全力で打ち倒す相手は、それに相応しい力を持つ相手でなくてはならん。……それだけだ」
ゆっくりと鉄球を拾い上げるエイダを前に、アルバーメフは奇妙な行動を取った。まだ彼女との距離は大槍を振るっても全く届かぬ距離であるというのに、構えを取ったのだ。
大槍を両手で持ち、大きく体を捻る。腰を落としながら、殆ど右肩がエイダに正体していた。珍妙で、そしてわかりやすい構えだった。その姿勢からでは、どうやっても左から横薙ぎの一閃しか放つことができない。簡単に攻撃の筋を読まれてしまう構えをこの距離で取ることに何のメリットも無いはずである。だが、巨人はそうした。
「おかしくなったのか、アンタ……」
両手で『星』を構えるエイダは、言葉とは対照的にその背筋に、頭に、魂に警戒せよと彼女自身の直感がささやいていた。