Pandemonium Ⅰ-3
気乗りしなさそうな声で、彼女は腰に手を回す。緩慢な動作で彼女が抜き出したのは、二つの『星』だった。その姿を見て、酷く異様で、残忍な姿を見て、エイダに殺到してくる兵士の何人かは微かな怯えを瞳に宿した。
「骨砕かれたい奴だけ前に出な！」
彼女の言葉を聞いて尚挑みにかかったのか、怒りに我を忘れていたのか、愚かにも最も先行してきた兵士が両手に握る長剣を横薙ぎに一閃させた。エイダの左胴を薙ぐその太刀筋は、彼女が左腕に持つ獲物で受け止められる。両の腕に込めた満身の力と、長剣自体の重量で威力が底上げされる一撃を、その細い腕一本で受け止められたことで、兵士はやっと事の異常に気がついたようだ。見開かれた目が目前の黒装束を見据えた時、彼の頭上には本来より一つ多い、もう一つの『星』が迫ってた。
「グェッ！」
潰された蛙のような声が、彼の最期の声だ。彼の頭、正確には兜にエイダが振り下ろした『星』が突き刺さり、兜ごと兵士の脳天を砕いていたのだ。星はその棘で脳天を突き刺すだけにとどまらず、頭まで砕いていたのだろう。彼の顔面には滝のように血が流れ、『星』をエイダが引き抜き、バランスを失って倒れて尚、地面に水溜まりを広めていた。
エイダの持つ『星』は、鉄製の棒の先に巨大な鉄球を付けたメイスと呼ばれる打撃武器だ。鉄球には棘が至るところに付いており、その姿が正に星と呼ぶに相応しいものになっている。鎧の発達した列島の戦場において、剣より役に立つこの武器は、装甲の上からでも容易に人体を破壊する。
「シャアア！」
野生的な咆哮と共に、エイダが今度は左手を振るう。左手に握る武器も右手と同じ『星』だが、左のそれは鉄球と棒の間に鎖が付いていた。エイダの常識はずれの膂力に遠心力が加わった鉄球は、エイダに槍を突き刺そうとしていた兵士二人を、一緒に消し飛ばした。首ごと一人目を吹き飛ばし、一人目の体ごと二人目をはじき飛ばしたのだ。
文字通り、斬殺された味方を見て、エイダに殺到する兵士達は思わず足を止め後ずさった。その一瞬の躊躇を見て、エイダは跳躍する。冷たい夜風を浴びながら、月光に反射したその瞳には、殺気の焔と、戦いの愉悦に歪む笑いが映っていた。兵士たちはエイダが跳躍した一瞬、布の隙間から覗く瞳を見ただけに過ぎないが、だがそれでもその赤髪が嗤っているとわかった。布の下には、凶悪に、恍惚に歪む捕食者の笑みが張り付いているとわかったのだ。
「ヒッ！」
その笑みを見て、兵士たちは総毛立った。恐怖に動けない彼らを見て、だが容赦なく着地と同時にエイダは右腕を振り、肉が千切れ、骨が砕ける音を撒き散らして兵士の一人をゴミに変えた。顔面に星の直撃を浴びた兵士はそのまま仰向けに吹き飛んだが、その顔は目も鼻もわからぬ、血を滴らす肉の塊に成り下がっていた。
「うわああああああああ！」
傭兵という、戦いを生業にするはずの彼らが、まるで生まれて初めて戦場に立った農夫のような情けない声を上げながらエイダに襲いかかる。それは彼らの生物として生まれ持った防衛本能による攻撃だったが、完璧に裏目に出た。槍の刺突は簡単に躱され、迂闊に間合いに入った兵士の首は星の直撃を受けて真後ろまでねじ曲がり、長剣を大上段に振り上げた隙だらけの兵士には、胸甲ごと胸を砕かれた。
顔、胸、腕、膝と次々に星が兵士の体を破壊し、兵士達が子供のように泣き叫ぶ。城の床は月光で朧気に浮かぶ黒い血で溢れ、その中でただ一人、エイダだけが嗤っていた。布の中、口を真横に広げ彼女は嗤う。大量の鮮血と、兵士の肉片がこびり付いた星を両手に持ち、黒装束の至る所から返り値を滴らせるその姿を見て、兵士たちは完全に戦意を消失した。
「化物……」
武器を捨てて、蜘蛛の子を散らすように兵士たちは闇の中へと逃げさっていった。残されたのは無残な死体と、エイダだけ。気がつくと櫓の上にいた兵士も逃げ出していたようだ。
「全く、こんな美人を化物扱いとは酷いんだのー。それにしても、兵士が出てきてくれないと陽動の意味が無いんだけども」
困ったようにエイダは辺りを見回すが、兵士が現れる気配は一向に無い。彼女はため息を吐くと、そのまま城の正面門へと向かった。向かう最中、ようやく体中に浴びた鮮血の匂いと湿りに気がついたようで、布の下で嫌そうに顔を歪めた。
ミドルード城の正面門は、城自体の外壁に設けられた門よりは小さい。それでも、完全に閉じられた門を前にすれば、常人ならば引き返しただろう。
「全く、こんな夜中に破壊作業なんざ聞いてないぜ。こりゃあ、特別手当出してもらわないとなあ」
愚痴をこぼしながら、エイダは星を振るう。常識外れの彼女の膂力が放つ星は、破城槌に匹敵するほどの力を生み出す。何度も何度も門に星は当たり続け、遂には後ろで門を支える閂ごと砕けて道を開いた。エイダは星を引きずり城に入るが、ぴたりとその足を止めた。