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『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜』
【SF その他小説】

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『兵士の記録〜エリック・マーディアス〜第三部』-27

第九話 《変後暦四二四年二月二日》


 白い部屋。柔らかい布団。香木を焚いたような良い香り。
そんな中で、エリックは目覚めた。
ぼうっと霞のかかった思考と視界は、機能を取り戻すまでにまだ時間が要りそうだった。
なんとなく。ただ何となく、エリックは天井を見つめる。
「…クリス……」
空っぽの思考の中で、口をついて出た言葉。
「良かった……お気付きになられましたか。」
 声が聞こえた。
目線だけで、そちらの方を見やる。ぼやけた視界は、徐々に周りを映し出す。
黒い髪。エメラルドグリーンの瞳。白いローブ。
少しづつ思考が働きを取り戻す。
「…………あの日。」
 ぽつりと、エリックは呟く。働きを取り戻し始めた思考は、声をかけてきた人物を判別するより先に、ある事実をエリックに突きつけていた。
「コクピットをこじ開けたんだ。」
 うわ言のように、紡がれる言葉。
「……もう動かなかった。」
 意味不明な言葉。
だがエリックにとっては、それが事実を表す全てだった。
現状を把握する事もせず、ただ吐き出した言葉。
言葉にする事で、確認でもするかのように。
「…死んでたんだ。」
 ただ淡々と、言葉を紡ぎ出す。
「………」
 そこで、言葉が止まる。
悲しい記憶の筈なのに、何も感じなかった。
思考も、瞳も、口も、乾いていた。
過負荷でもかかりすぎたかのように、感情が働きを止めていた。
今まで見ない振りをしていたものが突きつけられた反動は、大きかった。
胸に開いた穴を見ないように。動く事も考える事も止めた。
そうすれば、きっと苦しくない。エリックはそれを選んだ。
「……エリック…」
名前が呼ばれた。だが考える事を止めてしまえば、それは単なる空気の振動に過ぎない。
物事に意味を与えるのは、人間の思考なのだから。
「悲しい……いえ、辛いのですね。」
 声が聞こえる。が、エリックの心には届かない。
「……大丈夫、耐えられます。」
 額に、手が置かれる。それすら、今のエリックには何の意味も持たない。
…筈だった。
だが額に置かれた冷たくて柔らかい手の感触は、即座にエリックの思考を復活させた。
何重にもロックしていた心に、なんなく入り込んで来てしまった。
蘇る思考は、連鎖的に感情を呼び起こす。
「……ぅ……」
 呻いたエリックの涙腺から、止め処も無く涙が溢れ出てくる。
はっきりしてきていた視界が、涙で滲んだ。
しかし感情を堰き止める最後の堰が、あと一歩の所で爆発を止めている。
と、額に置かれた手が、髪を撫ぜた。
髪を撫ぜた人物…ベッド際の椅子に座っている、『クリス』と目が合う。
「………」
 彼女が、何も語らず、優しい瞳で微笑む。慈愛という言葉が、一番似合いそうな微笑。
その眼差しを見た瞬間、エリックの感情を止めていた堰は、あえなく溶け去った。
「…く……ぅう…っ……ぅっ……っく……」
 すがりつくように『クリス』の手を握り、エリックは嗚咽を漏らす。
何かにすがらないと、感情に押し潰されてしまいそうだった。
加えて、彼女の持つ特殊な雰囲気も要因だろう。
彼女は全てを理解しているかのように手を握り返すと、ベッドへ腰掛ける。
そしてエリックの頭を膝に乗せると、彼が握っているのとは別の手で、その頭を優しく撫ぜた。繰り返し、繰り返し。幼い子供に母親がやるように。
エリックは嗚咽を漏らしながら、それに身を委ねる。
胸を押し潰すような悲しみが過ぎ去るまで。
…………。
…。


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