Crusade Ⅲ-3
ボルジア王立騎士団による教会襲撃は、連絡を絶った先発隊の捜索に来た援軍によって完成された。彼らは、信じられぬことに仲間の遺体を回収した後教会に火を放ったのだ。それを見届けて、セシリーはミドルードを去った。そして夜が明け再び日が落ちる頃になって、法皇領にたどり着いて自らの上司であるロタリオにそれを伝えたのだ。馬を使ったとしても、考えられぬ速度だ。例え名馬が血の汗を流すほど走ったとしても、この速度で法皇領にたどり着くことは出来まい。だが事実、事件の起こった翌日にはセシリーは法皇領に辿り着いて、今ロタリオの目前になんの疲労も感じさせぬ表情で立っているのだ。
「法皇聖下の神聖な領域たる教会を焼き討ち。これは完全に喧嘩売られたっつーことだ」
教会が、諸侯が実効支配する土地の中であっても神聖不可侵で、いわば治外法権のような扱いを受けているのは、全て諸侯が法皇が持つ絶対的な権威と影響力を恐れているからこそ成り立つものだ。奴隷のような生活を送る農奴達は、その生活から逃れたければ教会か都市に逃げ込め、と言われるほどの権威を、列島中の教会が持っているのだ。
その教会を攻撃したことは、ボルジア家が堂々と教会の権利を侵したことになる。法皇庁が即座に十字軍を発動させようとしていることも、当然と言える。
「もー会議中に爺さんたちの鼻息が荒くってさあ。加齢臭と一緒になってやーな匂いだったわ」
ロタリオ本人は誰か笑い声でもって同意してくれる人間を期待したようだが、室内には彼の他には完璧な静止状態で立つセシリーしかいない。翡翠色の瞳は、ロタリオの目と、緋色の法衣を相変わらず直視している。
「さあて、それで今後の君達についてだけどね、ちょいっと派手に動いてもらうことになるかな」
「と、仰ると？」
だらしなく開いた首元をぽりぽりと掻きながらも、緋色の法衣を纏う男の瞳に光が灯る。最高の悪戯を思いついた少年のように、もしくは、最低の拷問を思いついた尋問官のように、その瞳に浮かぶのは毒々しい光だ。
「クーパが全てを独り占めする可能性があるからねえ。一刻も早い解決を法皇聖下は望んでおられる。それに君とアイアン・レディの報告によれば、この一件には魔族が絡んでるし、やっぱり君達執行官の出番でしょ」
ロタリオは突如として立ち上がる。椅子にもたれかかっていた彼は先程まで翡翠色の瞳を持つ少女から見下ろされる位置にいたが、ゆらりと立ち上がった彼はまるで影のように細く、長い男だった。軽々とセシリーを越す身長は、彼女と比べてまるで大人と小人のような対照的な差だ。未だに30代であるロタリオの若さに漲る体は、長い腕を伸ばしてセシリーの顎を掴んだ。
「ボルジアの後継者を自称するアナスタシア・アラゴン・ボルジアと、扇動家ラスプーチンの二名を確保せよ。これは聖命である」
緋色の法衣から伸びる腕に掴まれるセシリーは、抵抗もせずそれを受け入れ、ロタリオを見上げる。
「御意」
彼女の簡潔な返事に満足したのか、ロタリオは歪んだ笑みを浮かべる。瞳は毒々しい光を湛えたまま、口を歪な形に捻じ曲げてその口から吐き出される命令を、セシリーは神から契約を賜る預言者のような表情で清聴している。
「アナスタシアもラスプーチンも、『綺麗なまま』確保だ。ラスプーチンは後々晴れ舞台が待っている。伊達のままラテル＝アノまで持って来い。綺麗な体じゃあないと火炙りのときに栄えないだろう」
少女の翡翠色の瞳を、毒々しい瞳が突き刺す。豹変したロタリオの態度に、だが少女は彼女らしい沈黙と冷静さと、少しの高揚で答える。
「作戦決行は1週間以内。それを越せばフィリップ・ド・クーパのハイエナが動き出す。地理的に奴が真っ先にボルジア領を奪い取れる位置にいるんだ。今回の西征では、教会軍も帝国軍も、ボルジア領に到着する頃にはクーパが戦争をおっ始めてるだろうよ。奴がミドルードに入城する前に作戦を成功させ、ミドルード城に法皇聖下の御旗を立てよ」
帝国と法皇領の存在する列島で最も巨大な「本州」の最西端に位置するのがボルジア領である。教会軍はボルジア領に到達するために帝国領とクーパ領を通らねばならず、帝国軍もクーパ領を通る必要がある。だがボルジア領と隣接するクーパ軍は、そのままボルジア領へと侵入することができるのだ。最も獲物を奪いやすい位置にいるのが、フィリップ・ド・クーパである。
「……アナスタシアとラスプーチン以外の人間の処理は？」
「聖命の遂行を阻害するもの、全て除去せよ。これは聖絶である」
ロタリオは、片腕を天にかざし、詠うように宣言する。彼の命令は、法皇の命令、つまりは主の命令である。セシリーは目を閉じ膝を折り、上司に、いや聖命に対して跪いた。対するロタリオは演舞のように、演武のように、今度は少女の頭上に手を掲げる。芝居じみたその動きには、ロタリオ自身の高揚と陶酔が見て取れた。叙任を賜る騎士と王を想起させる幻想的なこの光景は、だがしかし彼の瞳が発す毒々しい光によって一種異様なものへと変貌していた。セシリーが賜ったものは忠義を尽くして主君を守る契約ではなく、主の御名による巨大な殺人の免罪符である。
「委細承知。枢機卿猊下の仰せのままに」