其の壱-1
「う……ん……ここは?」
美由紀が目覚めたのは、見知らぬ場所だった。
薄暗く、空気の湿った場所だった。窓はなく、唯一の灯は古臭い笠付きの裸電球ひとつだけ。わだかまる闇を全て追い払うためには、それはあまりにも心もとなかった。
奇妙な、落ち着かない香りが満ちている。体の芯が妙に熱い。
「おや、目覚めたようだね、お嬢ちゃん」
声のかけられた方を振り向こうとして、体をいましめる縄の存在に気づいた。背中に回された両手首が全く動かない。
「な、なに?」
あわてて身を揺さぶるが、しっかりとかけまわされた縄がゆるむはずなどない。見れば手描き友禅の繊細な絵柄が彩る胸元に、麻縄が幾重にも巻きついていた。
「なに? なんなの? 私、どうなってるの?」
狼狽しきった美由紀は、わけもわからず叫び出す。ふだんは落ち着いたしっかり者と評される美由紀だが、こんな異常事態において我を失わずにいられるはずなどあるわけがない。
「お嬢ちゃんはね、攫われて閉じ込められたのさ」
ふたたび男の声がかけられる。
ハッと視線をそちらに移すと、太い木を組んだ格子の向こうにゴマ塩頭の中年男の姿が目に入る。どこかで見た顔だ。
眼鏡の奥で、聡明さに輝く眼が細められた。記憶を探っているのだ。細められた眼が開く。
「あなたは……」
「ようやく思い出したかい」
それはたしかに先ほど乗ったタクシーの運転手だった。
「なぜ、こんなことを」
「お嬢ちゃんが可愛かったからさ」
「……お金なら、父がきっと出してくれます」
美由紀の家は、金沢でも知られた老舗の呉服問屋だ。したがって、それなりの資産もある。
「悪いが、わしが欲しいのはお嬢ちゃんそのものなんだよ」
そう言ってにやりと笑う。人の好さそうな相貌が一変して、好色な相が剥きだしになった。
「ひいっ」
男の欲望を、いきなり無垢な処女の身に叩きつけられ、美由紀は言葉を失った。
「八十平さん、あんまり脅かしちゃあ、可哀相じゃありませんか」
澄みわたった声が、薄暗い空間に響いた。
「千鶴様。いや、でもこのお嬢さんがあんまり可愛いもんだから、つい……」
ぽりぽりと頭を掻くがっちりした男の姿の影から、瀟洒な人影が別れ出た。
若く、美しい女だった。
ほっそりとした眉。きれの長い目。筋の通った鼻梁。薄く引き締まった真紅の唇。そして、切り揃えられた長い黒髪。
「ひっ」
ふたたび美由紀が息を飲む。
闇に浮かぶが如き白い面貌は、作り物のように整い、やはり作り物めいた美しい黒髪に縁どられていた。人と言うより闇が産んだ妖かしのように感じられる、そんな美しさだ。
「まあ、私を見て驚くなんて、失礼ね」
千鶴と呼ばれた女がすねる。
ひどく藹たけて見えた表情が、とたんにあどけなさに取って代わられた。
「ははは。千鶴様が美しすぎるからですよ」
八十平と呼ばれたゴマ塩頭が苦笑を浮かべる。こちらも、恐ろしげな好色さが霧消して、人の好さ丸出しといった風情になる。
「それにしても、真面目そうなお嬢さんね、八十平さんの好みにぴったり」
「へっへっ、千鶴お嬢様にはかないませんな」
「か、帰してっ!」
「ごめんなさいね。しばらくは帰してあげられないの」
本当にすまなそうに言う。
「そ、そんな……」
がちゃり、と音がして、ごつい格子の一部が開き、ぬう、と八十平のいかつい体が中に入ってきた。
「な、なにを……」
「お嬢ちゃんみたいな可愛い娘を虜にしたら、男のすることなどひとつしかない」
「や、やめてください。お、お金だったら……」
「ふふ、いいかい、お嬢ちゃんにはお金になんか替えられない価値があるんだよ」
「い、いやあっ。それだけはいやあっ」
首を振りながら叫びちらし、不自由な身でいざるようにずり下がる美由紀。八十平はあえてゆっくりと近づいてゆく。
「あ、ああ……寄らないで……来ちゃいやッ」
だか、すぐに壁に行き当たり、美由紀はまさに進退きわまってしまう。
「ふふ」
ほくそえみながら、八十平がたくましい両腕に美由紀の肢体を抱きとる。
「いやあっ。お願い、かんにんしてッ」
叫び、身悶える美由紀。だが、かよわい女の、それもいましめられた身での抵抗などなにほどのものでもない。それはぴちぴちとした生きのよさを示して、釣り上げた八十平を悦にいらせるだけの物でしかない。すぐに美由紀の体は八十平のあぐらの上に抱きとられてしまう。