雨時々、黒い傘 =der erste Teil=-1
――雨。
さぁさぁと、窓ガラス越しに聞こえてくる雨音。
私は、その音で目を覚ました。
「…はぁ」
空気が重い。気分が重い。
雨は嫌い。
「…今日、買い物に行こうと思ってたのにな」
雨なんて、大嫌いだ――。
その日の天気も、どんよりとした雨天だった。
白い病室。白いベッド。そして、そのどれよりも白くて、今にも消えてしまいそうな、父さん。
「妃依、すまん…本当に、すまん…」
ベッドの上の父さんが、かすれた声で呟く。
「…謝ったり、しないでよ…」
残される方が、辛いのだから、最後くらい、もっと、楽しい事を言って欲しかった。
「ああ…すまん」
握った父さんの手は、カサカサで、冷たくて。暖めたら良くなるんじゃないかと思って、私は強く強く握っていた。
「…向こうで…母さんに、会ったら…私は元気でやってるよ、って、伝えてね…」
声に嗚咽が混じる。涙で、父さんの顔が歪んでしまう。もっと、ちゃんと、見たいのに。
「ああ…わかった」
そう言って父さんは、いつもの様に微笑んだのだろう。私はそれをはっきりと見れなかったが、それだけは解った。
「…」
もう、言葉が見つからなかった。痛いだけの沈黙が続く。
ふと、握っていた父さんの手から、力が抜けた。
「…ぅぅ…っ…!!」
堰を切ったように溢れ出した涙が、シーツを濡らす。
父さんは、もう二度と変わることの無い微笑みを浮かべていた。
――それは、私の、14歳の誕生日の事だった。
私は、結局、一人で暮らす事にした。
一応、保護者は遠縁の親戚という事になっているが、生まれてこの方会った事も無い人達と、一緒に暮らしたいとは思わなかった。
父さんが残してくれた遺産は、私が暫くの間暮らすのに十分すぎる位だったし、母さんが亡くなってしまってからは家事はずっと私がやっていたので、生活に関しても、問題は無かった。
お葬式とか、色んな手続きとかで、お父さんが亡くなって暫くは、私に平穏は訪れなかった。
クラスメイトや先生は、同情の篭った態度で接してきた。親しい友達がそう居たわけでも無いので、私はクラスの中で孤立していた。
でもまあ、一人だけ、例外が居た訳だが。
「あんたも、あんたよ。どうして親戚の人に、一人で暮らす、なんて言っちゃったの?」
藤堂紀美江。幼馴染。でも、別に親しくはない。むしろ、何かと言うと構ってくるので嫌いなタイプだった。
「…一人で暮らしたかったから」
机にうつ伏せて、面倒だと言わんばかりに適当に答えた。
「あ、ああ、そう。そういう奴だったわよね、妃依は」
「…放っておいてよ…眠いんだから」
それは本当だった。連日の面倒な手続き、癒えない記憶、それらがない交ぜになって、最近はあまり眠れなくなっていた。
「そんな訳にはいかないでしょ? 見るからに具合の悪そうな奴を放っておけるなら、保険委員なんてやってないわよ」
意味が解らない。
「…別に、具合なんて悪くない」
「ハイ嘘。全く、無理するのが好きよね、ちっこいクセに」
…むっ。
「…関係ないでしょ」
顔を少し上げて、抗議する。
「そうね。でも、そんな真っ青な顔で言われてもねぇ」
「…」
駄目だ。言い返す言葉も浮かんで来ない。いつもなら考えるよりも先に言い返してるのに。本当に、具合が悪いみたいだ、私。
「あらら、反撃は無し? はぁ、ホントに重傷ね、これは」
「…そうかも、ね…」
「やっと認めたわね? じゃあ、ほら、保健室行くわよ!!」
紀美江がグイッと腕を引っ張るので、私は机から引き剥がされるようにして立ち上がる事になった。