雨時々、黒い傘 =der erste Teil=-7
もう、10分位はこうしているだろうか。
雨の音にも、雨が降る風景にも、ウンザリしていた。
「…はぁ…」
と、視界の端に、こちらに近づいて来る男子生徒の姿が映った。
「キミ、傘無いの?」
いきなり、そう声を掛けて来た。そう言えば、紀美江が去り際に『一年生を狙った上級生の軟派』が出没していると聞いたのを思い出した。なんだか面倒な事になってしまった。気分がどっと重くなる。
「…」
とりあえず、無視。
「な…無いんだよね?」
「…」
「まあ、無いとしよう。傘が無くて帰れなくて困っているキミに、俺は傘を貸してあげたいんだが、どうだろうか?」
卑怯やり方だと思った。ここで傘を借りてしまったら、確実に絡め取られてしまう。
「…要りません」
「う…じゃあ、こうしよう。貸すのは止めにする」
男子生徒(襟の校章の色を見るに、多分二年生)が、困ったように顔を歪め、変な提案をしてきた。
「俺が、ここに傘を置いておこう。だから、誰がそれを拾って使おうと、俺は関係ない」
何を言ってるのだろうか。そんな事をしたら、自分が困るだけなのではないか。
「で、この傘を拾って、雨に濡れずに家に帰ることが出来た、ラッキーで優しい子はこう思うわけだ『この傘を持ち主に返さないと』ってね」
「…」
「で、俺は明日の放課後、将棋部で、この傘を拾った子が来てくれる事を心待ちにしているだろう」
と、そこまで言い終えると、本当に足元に傘を放置して、その男子生徒は『うおおおおっ…』と叫びながら豪雨の中を走って行ってしまったのだった。
「…変な人」
でも、置き去りにされた傘を眺めているうちに、何となく、面倒に巻き込まれてみるのもいいのかもしれない、と、思ってしまった。
「…今度、父さん達にも、聞かせてあげよう」
結局、私は先輩らしき男子生徒が置いていってくれた傘で、濡れずに帰ることにしたのだった。
広げてみると、その黒い傘は、父さんの傘にそっくりだった。
二人くらい入っても、全然余裕な大きい傘。
私が持つには、すこし、渋すぎる気がしたけれど、懐かしい気持ちがしたので、嫌ではなかった。
「…それにしても、変な人だったなぁ…」
向こうは、私の名前もクラスも知っている訳ではないと思うので、この傘を返しに行かなくても、別に何も問題は無いのだ。つまり、完全に向こうが折れた形で貸して貰った事になる。
「…どうしよう、かな」
将棋部で待っている、と言っていた。よくよく考えてみると、これは、軟派ではなくて、手の込んだ部員勧誘なのかもしれない。
「…将棋…か…」
将棋なんてやったことも無い。けど、父さんは好きだったみたいだ。国営放送の将棋番組をよく見ていたのを覚えている。
「…」
ただ、見に行ってみるだけなら、いいかもしれない。傘を返しに行くついでに。
雨はまだまだ弱まりそうになかった。
この傘を貸してくれた先輩に、心の中で少し、感謝した。