雨時々、黒い傘 =der erste Teil=-6
ある日の放課後。
「あーあ、本格的に降って来ちゃったわね…」
紀美江が、私の席の目の前で、独り言を呟いている。
「降って来ちゃったわね!! 妃依!!」
「…何、私に言ってたの」
「そうよ、見た所、傘も無いみたいだけど、どうやって帰るつもりなの? あんたは」
「…普通に、歩いて帰るけど」
「あー…そう。私は泳げなくて鬱になってるってのに…あんたはお気楽ね」
紀美江は、中学校の時に引き続いて、水泳部に入ったようだった。まだ、二週間と過ぎていないのに、もう『期待の新人』と言われている、と、本人が言っていた。私が思うに『奇態の新人』の聞き間違いだと思う。
「…うるさい、水泳馬鹿」
「はっ!! 何なら、あんたもどこかしらの部活動にでも入れば、その、くらーい性格ももうちょっとマシになるんじゃない?」
「…余計なお世話」
「あっそ、じゃ、私はこんな時のために折り畳み傘を持ってきてるから、快適に帰るわ。あんたは、せいぜい濡れて帰って、風邪でも引いてダウンしなさい…あ、そうそう。さっき築地さんから聞いたんだけど、一年生に軟派しまくっている上級生が出没したらしいから、あんたも気をつけなさいよ…じゃあね」
結局、何が言いたいんだろう、紀美江は。
「…私も、帰ろう」
紀美江が言ったとおり、私は部活動に属しているわけでもなく、特に居残る用事も無い。
雨がこれ以上酷くなる前に、帰ってしまうが吉だと思った。
ありえない。
「…一体何があったの…」
教室から出てきて、玄関に辿り着くまでに、雨脚は最悪になっていた。
先程までの雨がBB弾だとしたら、今の雨はビー玉だと言える。
軒下から、少し、手を出してみる。瞬く間に手は雨に濡れ、しかも、痛い。
「…これだと、帰る前に死ぬかも…」
もう、雨の音も聞こえないくらい、耳が麻痺してきた。
「…はぁ…雨なんて、嫌い…」
少し、雨脚が弱くなるまで、待つ事にした。一体、いつまで待てばいいのか、全く先は見えなかったが。
将棋部員、遊佐間聡は焦っていた。
理由は単純だ。今日、珍しく部室に顔を出した姉に『聡、明日までに新入部員を、最低一人、確保してきなさい。さもないと、アレよ』と、脅されたためである。
それから、校内を駆けずり回って手当たり次第、一年生に声を掛けまくっていたのだが、どうにも軟派と間違われていたような気がする。やはり、女の子に限定して声を掛けていたのは間違いだったか…? いや、でも野郎に声を掛けるのは癪だし…。
「クソ…このままじゃ、姉さんに殺される…」
時間も時間になり、校舎の中に残っている生徒の数も少なくなってきた。どうしたものかと思案しつつ、昇降口をとぼとぼと歩いていると、それが目に入った。
見た感じ、背の小さい、恐らく一年生であろう少女。
その、傘がなくて困ってしまって待ち惚けている、と、いった雰囲気を纏った姿を見て、聡の脳裏に、現状を好転させる、ある秘策が浮かんだ。
「そう、名づけて『傘を貸してあげて、恩を売って部員になって貰おう作戦』…完璧だ」
幸い、自分は傘を持ってきていた。変な所で用心深い性格は、こういう時に役に立つ。
「よし、なるべく自然に、さりげなく声を掛けないとな…」
今まで失敗し続けた最大の理由は、無駄に自己アピールをしてしまっていた事だろう。
「あーあー…」
喉の調子もOK。
「よし、行くか」
俺は、最後のチャンスに向かって、歩き出した。