雨時々、黒い傘 =der erste Teil=-3
その日、父さんは何を思ったのか、急に『今度の日曜、遊園地にでも行くか?』と、聞いてきた。
「…え、遊園地…って、どうして」
夕飯も済ませ、食器も洗い、さて、宿題でもしようかな、と思っていた矢先である。言い出すにしてもタイミングがおかしかった。まあ、それも、父さんらしいと言えばらしいのだが。
「ん…妃依には、世話ばかり掛けているからな、たまに遊びに行くのも良いだろうと思って、な…」
恥ずかしそうに頭を掻きながら言う。どうでもいいけど、中学生にもなって、父親と遊園地というのはどうなのだろうか…。
「…別に…いいけど」
「どっちの、いい、なんだ…?」
「…行っても、いいけど」
日曜日に用事があった訳でもない。強いて言うなら、食料品の買出しにでも行こうかな、と思っていた位だった。これはこれで、中学生の休日の過ごし方としては変かも知れない。
「そうか、そりゃ…よかった」
「…急にそんな事言い出すなんて、どうしたの、父さん」
「部長がな、休みに遊園地に行ってきて、娘さんが凄く喜んでいた、という話を聞いてな、じゃあ俺も…と思ったんだが」
思い立ったら即行動なんて、父さんらしい。が、
「…でも、部長さんの娘さんは、小学3年生でしょ」
「ん? あ、ああ…そうだな…そうだった」
この辺の思慮の足らなさが、父さんたる所以なのだった。
「やっぱり、嫌か? 中学生にもなると」
「…そう、だね…少し恥ずかしいかも」
「そう…か」
父さんが、がっくりと肩を落す。
「…べ、別に、行きたくない訳じゃ無いよ」
「本当か…?」
「…う、うん…本当」
「そうか、じゃあ、行くか」
「…はは…」
もう、何がなんだか。私は笑うしかなかった。
そして、その週の日曜日。
雨、雨、雨。
これでもか、と言わんばかりの、雨だった。
昨日はあんなに雲一つない晴天だったのに、今日はこれである。
自然と溜息が漏れてしまった。
「雨、か」
「…うん、雨」
表情には出してはいなかったが、内心、結構残念な気持ちであった。
昨日の夜など、少し、ほんの少しだけ寝付けなかったり。それ位は、楽しみにしていたのだ、私も。
「そうか、雨か…」
「…うん…雨」
私の落胆が、無感動に思えるほどに、父さんの落胆っぷりは凄かった。顰めた顔を手で抑えて唸っていた。
「すまん…妃依」
「…そ、そんなに落ち込まないでよ、父さん」
「いや、俺はいいんだ。ただ、妃依に悪くてな…」
「…私は…それは、楽しみにしてたのは、本当だけど…行けなくなったからって、機嫌が悪くなるほど、子供じゃ無いよ」
「そうなのか…?」
「…酷い…私がそんなに子供だと思ってたの、父さんは」
実の父親にまで子供扱いされると、怒りというよりは衝撃である。
「う、む…少しな」
「…ふぅん」
すっ、と、自然と視線が冷たくなる。
「す、すまん。お前がそういう事を気にする年頃だと言うのは、解ってたんだが、つい…」
「…いいよ、気にしてない」
「う…すまん」
「…うん」
父さんは嘘が下手だから、私が折れないと、いつまでも父さんの口からボロが出続けるだけだ。だから、喧嘩もしない。馬鹿らしいから。
「そうだ、妃依、折角、楽しみにしていたんだから、どこかに行かないか?」
「…どこに」
「そうだな…それは、着いてからの楽しみにしておこう」
「…な、なにそれ」
「そう遠くない。歩いてすぐだ」
「…え、歩いていくの…雨、降ってるのに」
「む…う…そうだな、やっぱりやめるか…?」
「…い、行くよ、ううん、行きたい」
父さんが私と行きたがっているのは、痛いほどよく解った。そんな顔をされては断るに断れない。
「そ、そうか。じゃあ…行くか」
私は何の準備をする間もなく、出掛ける事になった。