非線型蒲公英 =Sommer Marchen=-1
夏の暑さも異常になってきた七月某日。
学校はすでに夏休みに入っていた。
そんな猛暑の中、宍戸妃依は煮えたアスファルトの上を歩いて、とあるマンションの一室へと向かっていた。
「…こんにちは」
共同玄関のインターホンを押しても誰も答える気配が無かったので、暗証番号(教えてもらった)を入力し、部屋へと向かった。4219号室のドアには鍵すら掛かっていなかったので、無用心だな、と思いつつ、妃依は中に入ってみた。
「…誰も居ないんですか」
居間まで入ってみるも、やはり誰も居ない。
にゃー。
いや、サリィは居た様だ。
「…ほら、おいで」
その場に屈んで、サリィに手招きをする。ちょこちょこと寄ってきたところを抱き上げた。
「…お前のご主人様はどこに行っちゃったの」
みゃあみゃあ。
サリィがじたばたと腕の中で暴れる。どうやら自分はあまり好かれて無いらしい。
「…ん」
仕方ないので、嫌がるサリィを床に降ろしてあげた。
そうすると、今度は足元にまとわり付かれた。猫とは変な生き物だ。
「…とりあえず、食事の用意だけでもしておこうかな」
そもそも、自分はそのためにここへ来たのである。誰も居なくとも、ここに来てしまった以上は何かしなくては…。
「…あ、材料も無い…」
おかずだけでも作り置こうかと思ったのだが、冷蔵庫には何も入ってはいなかった。この家の人は基本的に買い置くという事を知らないらしい。一人暮らしの自分には考えられない事だった。
「…困ったな」
ポツリと、そう呟いたとたん、何故だか無性に嫌な予感がした。
「あっはははははは!! マスター!! お困りですか!?」
久しぶりに聞く台詞だった。
「…居たのなら、もっと早く出てきてください。ヘクセンさん」
「いやぁ!! 私も今起きたばかりでして!!」
既に時刻は正午過ぎだ。いや、それはともかく。
「…ヘクセンさん、寝るんですか」
「なっ!! 寝たらいけませんか!? というか寝ずに働けと!? 鬼ですか!!」
「…だって、ヘクセンさん、ロボットじゃないですか」
「ロボットだって眠い時は寝るし!! 涙したい時は涙を流すんです!! 夢だって見る!! 嗚呼!! それがいけない事なんですか!?」
「…普通はそうじゃないと思うんですが」
やはり琴葉先輩が作ったからだろうか。何を思ってこんなモノを作ったのだろうか…。
「私がアブノーマルだと言いたい訳ですか!! そうでしょうとも!! 私なんてどうせアブノーマルな…!!」
「…それはどうでもいいんですけど、先輩達はどこに行ったんですか」
「ど、どうでもいい!? 私のデリケートな事情を弄んだんですか!! くああああああっ!!」
「…先輩達はどこに」
ヘクセンの言葉など、耳に入ってもいなかった。
「はぁ、はぁ、琴葉様と弟様でしたら『杵島』さんとか言う人の家にお出掛けですよ!! 私は猫畜生と留守番です!! もう嫌だぁ!! こんな生活!!」
「…『杵島』さんって…悠樹先輩の家じゃないですか」
「ああ、弟様の彼女さんの!! 成る程…!!」
ギロリ、と皮下装甲を貫くような視線を向けられ、ヘクセンは沈黙した。
「…何故、二人で出掛けたんでしょうか」
「そ、それは!! 親戚の家に行くのに理由が必要なんですか!?」
「…あ、そうか…そう言えば、そうでしたね」
聡先輩のお母さんと、悠樹先輩のお母さんは姉妹だ、と以前聞いた事があるような気がする。
「…はぁ」
思わず溜息が出た。
「おや!? マスター!! 気になって気になって仕方が無いという表情ですが!?」
「…別に、気にしてなんかいません」
妃依は努めて平静を装ったつもりだったが、少々目が泳いでいた。
「はっはっは!! 私は彼女さんの家の場所を知ってますよ!? 何せ、高性能ですから!! …ああ、言っててシビレル!! この台詞!!」
「…知ってるんですか、悠樹先輩の家の場所」
「食い付きがいいですね!! マスター!!」
「…まあ、参考までに…と、思って」
「いいですともいいですとも!! 教えてあげますとも!! ただし!!」
「…ただし、何ですか」
もう、嫌な予感しかしなかったが、あえて聞いてみた。