非線型蒲公英 =Sommer Marchen=-73
いい加減、この無駄に待ち時間の長いエレベーターにも慣れてきた聡だったのだが、ただ黙っているというのも暇過ぎるので、聡は先程から気になっていた事を妃依に聞いてみた。
「それにしても、ひよちゃん」
「…何ですか」
「その格好で食いに行くの?」
「…まあ、確かに夜に出歩く格好ではないと思いますけど…こんな時間ですし…人目は少ないですから」
琴葉から就寝向けに…と借りた着替えは、肩の露出した薄い生地のワンピースだった。外を出歩くのならば、一、二枚は何かを羽織った方がいい様な格好ではある。
「いや…でも店に行けば、誰かは居ると思うんだけど」
「…それなら、大丈夫です…行く所は、決めてあります」
「え? どこ?」
妃依はふと、思い付いた事を口にしてみたくなった。
「…それは…着いてからの…お楽しみです」
「な、何で…?」
「…すぐ、そこですから」
成る程、やられた時には訝しむしかなかったが、やってみると何だか面白い。遠い記憶とダブらせながら、妃依はそう思った。
「そ、そう? …あ、そう言えばヘクセン」
「何でしょうか!? 弟様!!」
「お前、確か、モノ食べれないよな。どうして付いて来たんだ?」
「どうしてと問われれば、それは!! 食事という団欒の場には、私の様な存在が必要不可欠だからですよ!!」
「いや、別に」
「…不必要可欠の間違いですね」
聡と妃依は申し合わせた様に、揃って首を横に振った。
「ひ、酷すぎる!! ただでさえ居場所の無い私の、残り少ない居場所すらも奪おうと言うんですか!? お二人はッ!!」
「…ヘクセンさんなら、何処へ行ってもやって行けますよ…きっと」
遠い目をして、妃依が言う。
「そんな、哀愁漂う妄想は要りません!! とにかく!! 今日はとことんお付き合いさせて頂きますよ!? ええ!!」
「ただ、家に居たくないだけだろ?」
「ええ!! そうですよ!? いけませんか!? マスターや弟様だってそうでしょう!? 誰だってそうですよ!!」
「それは確かにな…」
ここに会している三人に、今さら遊佐間家へと戻る理由は微塵も無かった。
と、そうこうしている内に、エレベーターは一階へと辿り着いていた。
マンションから一歩外に出ると一変、肌に感じる空気が変じて、さながら街は静寂の帳に包まれている様であった。
夜も九時を過ぎてしまうと、比較的地方であるこの辺りの信号機は点滅状態のままとなり、通行人も全くと言って良いほどに居ないのである。
そんな寒々しい雰囲気も相まってか、薄着の妃依は何となく肌寒さを憶えていた。
「…先輩は、寒くありませんか」
「いや…服は濡れてるけど、涼しくて丁度良いかな…ん、ひよちゃんは? やっぱり、その格好は寒いんじゃないか?」
「…少し、ですけど…はい」
「そっか…じゃあ、俺の服…は、濡れてるから貸す訳にはいかないしな…どうしよ」
「…大丈夫です、そこまで寒い訳じゃありませんから」
「そんな時は!! お互いに全裸で抱き合うのがセオリーですよ!! マスター!!」
ヘクセンは自らの胸を抱き、身を捩じらせながら言った
「…雪山で遭難してる訳じゃないんですから」
「成る程!! と言う事は!! もしも雪山で遭難した場合には、迷う事無く全裸で抱き合う訳ですね!? 流石はマスター!! 常に姿勢がアグレッシブ!!」
「…別に、そういう訳じゃ…って…先輩、どうかしましたか」
急に難しい顔で遠い目になった聡の様子を訝しんだ妃依は、不意に声を掛けた。
「え…? 俺は何も…ッ!! いや、何でもない!!」
やけに狼狽して答える聡。
「…先輩、もしかしなくても…妙な想像してませんでしたか」
「そんな事は無いさぁっ!! まさかね!!」
聡は目線をあさっての方に泳がせ、何かを誤魔化す様にして上擦った声で叫んだ。もっとも、全く誤魔化し切れてはいなかったが。