非線型蒲公英 =Sommer Marchen=-66
「…ふっ…ぅ…」
果たして、これは口付けと呼べるのだろうか。
呼べる、呼べないはともかく…こんな、『死』に近い口付けなんて…縁起でもないけど。
早く…早く、目を開けて欲しい…。
「…っはぁ…ふっ…」
元々、私は肺活量の多い方ではない。だから頭が、指先が、酸素不足で痺れていた。身体中、酸素が足りていなかった。
ともすれば途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、先輩の口内へと息を吹き込む。
私が、気を失って、どうするんだ…。
今ほど、自分の身体の小ささを呪った事は無いかもしれない。
「…は…はぁっ、はっ…ん…っ…」
こんな時にも…こんな時でさえ…『この行為』に意味を求めようとしている自分は、とても愚かなのかもしれない。
慌て過ぎていた為か、歯と歯がぶつかり、カツンと音が響く。
傍から見れば、それは、口付けなんて生温いモノではない――まるで、貪り合うキスの様で。
…本当に…そう…だったなら…。
息を吹き込み終えた、その一瞬…唇を離す瞬間…ふと、舌を絡め合いたくなる衝動を、押し殺し続けていた。
…私はまた…先輩が知らない内に…馬鹿な事を…卑怯な事を…しようとしてる…。
もしも…先輩が息を吹き返したなら、私をこんな気持ちにさせた責任を…取ってもらおう。
――酸欠で混濁した意識の中、様々な思いがぐるぐると巡る。
「…ハイッ!! 止めてください!!」
ヘクセンさんの声で、フッ、と混沌とした思考の渦から帰還した私は、今の自分が、怒っている様な、喜んでいる様な…おかしな気持ちの上に立っている事に気が付いた。
こんな状況で不謹慎だとは思うけれど、何故だか、大声で笑いたい気分だった。
「茉莉さん…遠慮はいりませんよ? さあ」
「遠慮なんてしてませんよぅ…!!」
彼此の河原では、未だに暴走聡によるセクハラが続いていた。
「自分を偽ってはいけません。ボクを信じて、心を開いて」
古美術品の石膏像の様なポーズを取りながら、穏やかに語りかける聡。
対して茉莉は、しりもちをついた体勢のまま、じりじりと後退っていた。
「そっ、それ以上こちらに近づいたら…き、斬りますよ?」
そう言いつつ取り出した『魂狩』ではあったが、手が震えている為か、いかんせん切先が地に着いてしまっていた。
「斬ると言うのならば…それも良いでしょう。受け入れましょう、全てを…」
そう答える聡には、正常な頃の面影など微塵も無かった。
(ああ…もしかして私は、触れてはいけないモノに触れてしまったんでしょうか…?)
資料をパッと見た時、何処と無く只者ではない雰囲気を感じ、『これは、渡したらポイント高そうですねぇ…』などと、安易に考えていた自分を激しく叱咤したい気持ちでいっぱいだった。
「さあ、茉莉さん、見ますか? 斬りますか? それとも…」
「ひぃ…っ」
徐々に近づいて来る生まれたままの姿の聡に、茉莉の視界も徐々にブラックアウトしつつあった。
もう、や、ヤられる(?)…と、絶望に浸っていた茉莉の狭まりつつある視界の端に、きらりと光る何かが映った。
「あ…」
先程までなら――聡がおかしくなってしまう前なら――忌々しいとしか思わなかったであろう『ソレ』は、聡の背後から緩やかな速度で迫っていた。
「どうかしましたか? 茉莉さ…っ!?」
ガチ…ッ
聡は、唐突に己の身体に絡みついた『何か』を確認する為に視線を落とした。
四肢と首と胴に巻き付いているソレは――鎖。
「…緋々色の輝きを放つ、縁の鎖…現世からのお呼び出しですよ…聡さん」
安堵の溜息を交えながら、『ソレ』の説明をする茉莉。
今の茉莉にはその縁の鎖が、まるで救いの糸の様に見えていた。