非線型蒲公英 =Sommer Marchen=-51
『夏休み開始当初の某日にも我が家で宴会が開かれたのですが…!!』
「…勝手に『我が家』とか言っていいんですか」
『そんな事はどうでもいいんです!! 問題はその宴会によって私が危うく機能停止寸前に追い込まれ、ついでに弟様が死に掛けたという事です!!』
「…初耳ですよ、それ…聡先輩はそんな事、一言も…」
日がな毎日入り浸っていた訳ではなかったが、週に四日以上は遊佐間家を尋ねていた妃依である。もしそんな事があったのならば、被害者本人の口から愚痴られていても不思議ではない。
『当たり前ですよ!! 弟様は心身共に訪れた衝撃によって、当時の記憶だけがスパッと消えてしまっているんですから!! ああっ!! 思い出すだけでも恐ろしい!! タガの外れた琴葉様に比べれば、閻魔大王だって仏に見えますよ!!』
妃依の脳裏に、襟の高い黒いマントを羽織り、焦点の定まらない瞳でシニカルな微笑を浮かべた琴葉が、死屍累々の頂点に君臨しているビジョンが浮かんだ。恐ろしく現実味があった。
「…予想以上に重い話ですね」
「そして、無視できない話だな…私達にとっても」
『琴葉＋酒≒無差別大量殺戮兵器』という極近い未来に起こりうるその状況を想像し、二人の背筋に冷たいモノが奔る。
（関係なくて…良かった）
さっきまでとは裏腹に、和馬は部外者である事の幸せを、神に深く感謝していた。
「宍戸、生涯唯一の願いだ。服を貸してくれ…」
「…嫌です」
コンビニからの帰り道、自分の巫女服姿を意識していた美咲は、街灯の明かりを避けるようにして歩いていた。
「そう言わず、頼む…」
「…先輩、別にいいじゃないですか…気にしなければ」
「お前は取り外しが簡単な猫耳だったから、そんな事を言っていられるのだ…!!」
先を行く妃依の後を付ける様にして、暗がりを進む美咲。まんま不審人物だった。
『お嬢さん!! お困りですか!? お困りですね!? いやぁ!! それなら私が…!!』
妃依のスカートのポケットに差されていたヘクセンは、自分の出番を察知したとばかりに声を張り上げた。
「…何をするつもりなんですか、ヘクセンさん」
『それは、やってからのお楽しみというのもですよ!! そうでしょう!?』
「…いえ、かなり同意しかねますけど」
『マスターには聞いてませんよ!! で、どうですか!? お嬢さん!!』
「どう…とは？」
『私に任せてみませんか!? ええ、ドーンと!! タンカー船にでも乗ったつもりで!!』
「…信頼度、微妙ですね、それ」
『マスター!! さっきから何なんですか!! ツッ込まずにはいられない病気か何かですか!? 可哀想に!!』
「…ぅ…」
意外と図星を指された妃依は、沈黙した。
「ん…メイドさん、その…お願いできますか…？」
「…正気ですか」
『はっはー!! 流石はお嬢さん!! 解ってらっしゃる!! マスターとは目の付け所はおろか、視神経の出来からして違いますネェ!!』
「…」
妃依は何か言いたげな様子で、ポケットから飛び出ているヘクセンを眺めた。『何か』を必死に堪えている表情だった。
「それで…具体的には一体何をするのです？」
『難しい事は何もありません!! 私を持って振って頂ければ、それで!!』
「…それって…確実に『良くない事』が起こるような気が…あ」
妃依は、脊髄反射でツッ込んでから一瞬後に、後悔と共に己の口を手で塞いだ。
駄目だ…本当に病気かもしれない…。
『お嬢さん!! マスターの発する言葉に聴覚を貸してはなりませんよ!! ご自分の意志を強く持って!!』
「むむ…」
美咲は、眉間に皺を寄せ、額に手をやり、険しい顔で思案し始めた。
『ほ〜ら!! だんだん私の力を使いたくなってく〜る!! なってく〜る!!』
妃依は妃依で、己の内側から湧き上がる、ワケの解らぬ衝動と大乱闘をしていた。
もう、負けるわけにはいかない。下手をすれば、おかしなレッテルが付きかねない…『ツッコミマスター』とか。
…妙にしっくり来るのが嫌だ…。
「宍戸…メイドさんを貸してくれ」
遂に決意したのか、美咲は一歩前へと進み出て、妃依に手を差し出した。
図らずも街灯の元に立つ事となった美咲の姿は、巫女服も相まって、やけに神々しく輝いていた。嫌な神々しさだが。
「…どうなっても、責任持ちませんよ…」
妃依は、やけに憔悴した面持ちで美咲にヘクセンを手渡した。
思えば六年前――。
そう、確かあれは、小学校五年の時の運動会、その前日の夜だっただろうか。
『姉さんは、明日、何に出るの？』
翌日に控えたイベントの所為で少々興奮気味で眠れなかった俺は、姉さんの部屋に行って、そんな事を聞いた様な気がする。
『私…？ 私は…先生に頼んで、見学させてもらう事にしたから…専ら、応援かしら、ね』
慎ましやかな笑みを浮かべながら、姉さんはそう答えた。
『姉さん、やっぱり、調子悪いの？』
その頃の姉さんは、『病弱』を絵に描いた様な人だった。
白いレースのカーテンと白いベッドが似合う清らかな少女で、どんなに間違っても、冷笑と鮮血の似合う魔女では無かった。
『ええ…でも、最近は、少し位なら、走っても眩暈がしなくなったのよ』
『ホントに？』
『ふふ…聡に、心配ばかりは掛けていられないもの』
そうやって微笑む姉さんの表情は、当時の俺にとって、一番大切な宝物だった。
…だからだろうか、
『俺…明日、頑張って走って、100m走で一位取るからさ、姉さんも頑張って元気になってよ』
なんて、今となっては死んでも吐けない様な台詞を、サラッと言ってしまえたのは。
『…ええ…解ったわ、約束、ね』
――で、翌日、俺は死ぬ気で走って本当に一位を取り…その後からだろうか、少しづつ、姉さんの体調は、良くなって行った気がする。
…そして、止め処なく、どこまでもエスカレートして、今に至る訳だ。
『あの時…あんな事、言わなけりゃよかった…』
過去の回想から還って来た怪人セロテープ男は、昔と今のあまりの落差に、思わずそう呟かずにはいられなかった。
「何の事かしら」
『何でもない…ううっ…』
ああ、今のこの仕打ちは何だ？ というか、姉さんはどうして『こんなの』になってしまったんだ…。
って言うか…殆ど別人じゃないですか…。
おかしいですよ…姉さん…っ!!
「そうかしら、何だか悪意を感じるのだけれど」
『き、気のせいじゃないか…？』
「お姉様、アブリスちゃんの準備が完了致しました」
完全に俺の敵と化した燐ちゃんが、姉さんに報告する。
全く何も見えないので詳しくは不明だが、燐ちゃんとアブリスちゃんが、さっきから俺の傍で何かしらゴソゴソとやっていた事には気が付いていた。
確実に、ロクな事では無いのだろうが…。