祈り-5
「あの人は……事故なんかで死ぬような人じゃないの……絶対に……そんなはずないのよ」
理可が譫言のように呟く。
その言葉で始めて、「あの人」が川瀬であるということに三田村は気が付いた。
「あの人は、ヤバいデータは絶対にコピーをとらないし、他人には渡さないのよ。でも……藤本あいりなら………あの子なら盗むことが出来たかもしれない。あの人はあの子にだけは隙を見せてたから………」
理可が悔しそうに唇を噛む。
理可は川瀬のあいりへの気持ちに気づいていたのだ。
そしてそれはつまり、理可がそれだけ川瀬のことを誰よりもよく見ていたからということに他ならない。
「藤本あいりがデータを盗んで、あんたが人事に脅しをかけた。そうやってあの人を追い込んだんでしょう……だから……あの人は…………」
そこまで言うと理可は、激しい形相で三田村につかみかかってきた。
「返して!……あの人を返してよぉっ!!」
駐車場中に理可のわめき声が響き渡る。
三田村は反論せずに、理可の怒りを静かに受け止めていた。
この人の怒りと悲しみを全てここで吐き出させてあげなければ、あいりが危険な目に合うかもしれないと思った。
理可の言っていることは事実ではない。
しかし、三田村とあいりが川瀬を死に追いやったというのは、あながち違うとも言い切れないような気がした。
「なんで……あの人を……そこまで追い詰めたのよおっ………あんた……あの子のただの同僚だって言ってたじゃない!」
三田村の胸ぐらを何十回も殴りつけながら泣き叫ぶ理可。
高橋の性奴隷で、誰とでも寝ると噂されていたこの女性が、実はこんなにも一途に一人の男性を愛していたことを、誰が知っているだろうか。
この人が自分の身体を犠牲にしていたのは、全て川瀬のためだったのだ。
「石原バイヤー……」
三田村はボロボロに泣き崩れている理可の肩をそっと抱いた。
「あのデータを僕に渡したのは………川瀬主任本人なんです」
「嘘よ………ま……さか………」
三田村の言葉に、理可が驚いて顔をあげた。
アイシャドーが剥げ落ち、ひどく泣き腫らした目元は、まるで少女のように幼く見える。
子供のように素直で純真な理可の心が、透けて見えるような気がした。
「主任は……あれを僕に渡した日の夜に、亡くならはったんです。……主任があれを僕に渡したんは……藤本や……あなたを地獄に追いやった『負の連鎖』を、僕の手で断ちきれという意味やったんやと思うてるんです………そう思ったからこそ、僕は行動出来たんです」
「負の……連鎖……」
「高橋部長と川瀬主任の間に、どんな力関係があったんかはわかりません。でも実は主任こそが、自分自身が生み出した悪魔のような連鎖の中で、一番苦しんでいたんかもしれません」
「う……うう……っ」
「せやから……たぶん……あなたも、他の女性たちも……堕ちるべきではなかったんやと思います。……あの人の手に……」
「……あぁっ……ううっ……っく……」
理可は地面に両手をつき、這いつくばるようにして泣きじゃくった。
川瀬のような男は、誰にも愛されることなどないと勝手に決め付けていた。
しかし、今こうして理可という女の生きざまを目の当たりにしてみると、川瀬にはもっと別の行き方があったのではないかと思えてくる。
自分を愛してくれる女を、愛することが出来ない。
苦労して手に入れた花を自分で握りつぶしてしまうような、余りにも悲しい川瀬という男の人生に、三田村自身も初めて熱いものがこみあげてくるのを感じていた。
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