肉体の取引 前編-2
「どうもどうも――わたくし川瀬様からの御依頼でお迎えに上がりました」
ちゃきちゃきと立ち振る舞うその男の出で立ちは旅館の番頭のような黒半纏姿で、こんな都会の雑踏よりも観光地の温泉宿が似合いそうな雰囲気だ。
「お荷物お持ちいたしますよって。お車、裏の駐車場のほうにご用意いたしております―――」
「……車……ですか?」
へこへこと腰の低いその小男から悪意のようなものは感じられなかったが、事がだんだん大きくなっていくようで、不気味な胸騒ぎがする。
「こちらんなります。ささ――どうぞ」
なんとなく抵抗感はあったが、せわしない口調で追い立てられ、仕方なく黒塗りのセダンに乗り込んだ。
ピカピカに磨き上げられた高級車に豪勢な革張りのシート。
快適すぎる空間に、今から旅行にでも出かけるような錯覚に陥ってしまう。
見慣れた街をどんどん離れ、住宅街のような複雑な路地をいくつも通り抜けているうちに、方向感覚を失って自分がどの辺りにいるのか見当がつかなくなった。
1時間ばかり走って車がようやく停まった時には、あたりはすっかり暗くなっていた。
「―――お疲れはんでしたな。さぁどうぞ」
扉を開けてもらって車を降りると、そこは長い土塀に囲まれた立派な和風建築の屋敷の前だった。
見るからに一般の住宅ではなさそうな作りだが、料理屋とも旅館とも、看板らしきものは何もあがっていない。
「……どういうとこやねんろ……?」
男に連れられて、分厚い絨毯が敷き詰められた玄関に恐る恐る上がろうとすると、何処からともなく若草色の和服を着た中年の仲居がスッと現れ、丁寧にスリッパを揃えて出してくれた。
「いらっしゃいませ―――こちらでございます」
磨き上げられた廊下をどんどん奥へと進み、手入れの行き届いた広大な庭の中にある離れへと案内される。
一流料亭のような雰囲気だが、周囲に人の気配が全く感じられないのが薄気味悪い。
「川瀬様―――お連れ様がいらっしゃいました」
仲居がすうっと襖を開けると、6畳ほどの小綺麗な和室に、スーツ姿の男が一人で座っていた。
歳は四十前後であろうか。
ネクタイを締め、きちんとした身なりをしているが、眉間にシワをよせながら煙草をくゆらせるその姿からは、デパートの従業員というよりむしろ水商売風の擦れた雰囲気が漂っている。
「……来てくれましたね」
電話で聞くよりも渋味のあるセクシーな声にゾクリと鳥肌が立つ。
川瀬は灰皿の上で煙草を揉み消すと、煙を長く吐き出しながら、慶子の顔から胸、脚へとゆっくり視線を走らせた。
「なるほど……あなたが三田村の……」
まるで全身を値踏みするようなじっとりとした目つき。
今まで男性にこんな接し方をされたことのない慶子は、それだけで強烈な戸惑いと不快感を感じてしまう。
「まぁ、座って下さい」
仕方なく座布団に腰を下ろすと、すぐに別の仲居がお茶を運んできた。
「いらっしゃいませ川瀬様―――後で女将がご挨拶に参りますので」
「そう―――まぁ、今日はアレだから……もろもろ終わってからでいいよ」
「ああ……さようでございますね――かしこまりました」
川瀬は馴染みの客らしく、仲居とも互いによく見知ったような雰囲気の挨拶を交わしている。
うっかりしているうちにすっかり相手の陣地に招き入れられてしまったことに、慶子は今更ながら不安を覚えた。
「では失礼いたします―――どうぞごゆっくり……」
襖を閉める瞬間、仲居がくすり…と意味深な笑みを浮かべたような気がした。
しずしずとした足音が渡り廊下を遠ざかると、ゾッとするような静寂が訪れた。
これまで抑えていた恐怖心が一気に込み上げてくる。
わざわざこんな場所に呼び出されたのは何のためなのだろう。
何の手も打たないままのこのこと出て来てしまったことを、慶子は早くも後悔していた。
緊張でカラカラに渇いてしまった喉を、お茶でなんとか潤す。
「さて――――」
挨拶も前置きもないまま、川瀬は脇に置いてあったバッグを引き寄せると、中から何かを取り出してきた。