非線型蒲公英 =Fortsetzung zwei=-8
(逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ…)
頭では解っているのだが、身体が言う事を聞いてくれなかった。
そうさ、修羅場は怖い、そこから逃げるのは悪い事じゃ無い、というか、俺は悪くない…。
全速力で走っていた聡は、部室棟の前で、ぐったりと地面に座り込んでしまった。
「はぁ、はぁ、何でこうなったんだ…?」
とにかく、状況を整理する事にした。
屋上にいた時は、まだ良かった。何も、問題は無かったはずだ。
その後のアレは…俺を吹き飛ばしたあの衝撃、アレの正体は何だ? 最近よく食らう衝撃と似ている気がしたのだが。
「いや、まさか…あいつが学校にいる訳が無い」
だが、もしも背後に姉さんがいるとするならば…。
「あああ、姉さんか、また姉さんなのか…俺をどこまで苦しめれば気が済むんだ…」
俺達の事には介入しないと言ってなかったか? それとも、小姑じみてると言った事をまだ根に持っているのだろうか。
「うああ…平穏が欲しい…」
聡は、将棋部の入り口にもたれて体育座りをした。現実逃避モードだ。
「遊佐間先輩…? な、何をなさっているんですか?」
顔を上げると、そこに居たのは燐ちゃんだった。
「ああ、燐お嬢様ですか…はは…放っておいてくださいませ…」
燐ちゃんが数歩引いた。
「へ、変です!! 遊佐間先輩!!」
燐は恐怖に慄いた。ここまで卑屈な先輩は見た事が無い。
「おーい、燐ちゃん、先に行っちゃうなんて酷いなあ、もう…って、お兄ちゃん、何してるの?」
顔を上げなくても解る。沙華ちゃんだ。
「俺は…駄目だ…ああ、もう…駄目なんだ」
「なっ…お、お兄ちゃんが病んでる…」
「そのようです…どうしましょう」
「どうする…って、とりあえず、邪魔だし、退かそうか?」
「そうですね…そうしましょうか」
俺は無常にも、二人によって脇に退かされた。
「あはは、邪魔者扱いだよ…ふ、ふふふふ」
「き、キャラが崩れてるよ…? お兄ちゃん」
「先輩に何があったんでしょうか…」
壊れっぱなしの聡を前に、部室の中に入る気にもなれない二人。と、そこに、
「やあ、燐さん。こんにちは」
無駄に爽やかさを振りまきながら和馬が現れた。
「あ…副部長。どうも、こんにちわです…」
「ちょっと、兄さん。私は無視?」
「さ、沙華に挨拶しても仕方ないだろう?」
「まあ、いいけど…それより兄さん、お兄ちゃんを何とかして」
言われて、和馬は扉の横で廃人の様になっている聡を見つけた。
「うわぁ…今日は教室を一目散に飛び出していったなあ、と思ってたら…何があったんだい? 聡」
「和馬…俺の代わりに死んでくれ…」
俯いたままでボソリと言う。
「い、いきなり、理不尽な事を言ってくれるね…」
「さっきから、こんな調子なんだよね」
沙華は、やれやれと溜息を付く。
「まあ、僕に任せて」
そう言って、和馬はすうっと息を吸い、
「ああ!! 聡、女子テニス部が着替え…」
それが言い終わる前に聡は、
「どこだ!? どこなんだ!?」
勢い良く立ち上がり、辺りをキョロキョロと見回した。
「お、お兄ちゃん…」
幼い頃から良く知る、兄の友人の性格には慣れていたつもりだったが、コレには驚きや呆れを通り越して哀れみすら湧いてきた。
「さ、流石は聡だね…僕も驚いたよ」
やったその兄すらも驚いていたのだから相当である。
「と言うか、着替えは!?」
聡は聡で、息を荒げて未だに周囲を探索している。
「ゆ、遊佐間先輩…目が怖いです」
燐は、聡のあまりの豹変振りに怯えていた。
「嘘だよ、聡」
「嘘、だと?」
「そうだよ、そうでも言わないと聡が正気に戻らないだろう? …って、今も正気を失っているみたいだけどね…」
「貴様ァッ!! よくも謀りやがって!! 畜生、責任持って俺に女子テニス部の着替えシーンを見せろ!!」
見事に壊れていた。
「それは最低だよ、お兄ちゃん…」
「もう誰でも良い、俺の前で着替えてくれ!! 癒してくれ!!」
ズドゴァ!!
刹那、小さな影がすっと部員の間を縫って、聡に激突した。
「…こんな所で醜態を晒さないでください…自分が情けなくなりますから」
プールでの一触即発の睨み合いを終えて来た妃依であった。
肘が聡の鳩尾を直撃している。聡は一言も言葉を発せずにその場に崩れ落ちた。
いきなりの出来事に唖然とする一同。
「…あ、皆さん、こんにちは」
何事も無かったかのように、妃依はさらっとそう言い放った。