非線型蒲公英 =Fortsetzung zwei=-7
将棋部員、宍戸妃依は、凄まじく不機嫌だった。
「…何で」
プールに到着した妃依が、まず目撃したのは、聡と紀美江がキスをしている所だった。
もちろん、前後の行動を見れば、それが人工呼吸であると理解できたはずなのだが、その時の妃依は、平静さを失っていた。
「…どうしてよりにもよって、紀美江が…」
藤堂紀美江。妃依にとって、この名前は只ならぬ怨恨をこめて呼ばれる名前であった。
小学校、中学校と、ずっと同じ学校、同じクラスだった妃依と紀美江は、まさに水と油、犬猿の仲と言える関係なのである。
高校でも同じクラスになったこの二人が、お互い嫌い合っている理由はただ一つ。
『気に入らないから』
それだけだった。
とにかく、その忌むべき紀美江が、先輩にキスをしている、もう、その時点で妃依の怒りは頂点を越えていた。
と、物陰で様子を見ていた(余りの事に立ち尽くしていた)妃依だったが、聡が気が付いたことでようやく、煮えたぎる怒りを行動に移す事が出来た。
「…紀美江、先輩から、離れて」
押し殺した声。半径2メートル以内の蟻が、全て圧死してしまいそうな雰囲気だ。
「ひ、妃依!? 何で、あんたがここに?」
「ひよちゃん…?」
さっき屋上で見せた笑顔とは、真逆のベクトルにある表情をしている妃依の迫力に、聡は思わず後退った。
「…離れて、って、言ってるの」
「な、何? いきなりなんなのよ!! 離れろって…」
お互い、相手が怒る様は何度も見てきているのだが、それでも此度の妃依の怒り具合は尋常なものではなかった。流石の紀美江も、たじろいでいた。
「…何、してたの、さっき」
「へ? あ、まさか、あんた…見てた訳?」
「…何、してたの」
「じ、人工呼吸よ!? 先輩が死にそうだったんだから、仕方ないでしょ!?」
「…そう、それが、遺言ね」
妃依は、常ならぬ邪悪な笑みを浮かべた。
「ちょっ、ま、待ってよ!! 妃依、何でそんなに怒ってるの!?」
ぴくりと一瞬動きが止まる。
「…あなたには、関係無い」
紀美江は、妃依のその様子から大体の事情を悟った。
「ははん、なるほどね。つまり、先輩はあんたの彼氏ってとこかな?」
とにかく、かまをかけてみた。
「…っ…るさい」
妃依は怒りと恥ずかしさで、真っ赤になってしまう。
「あれ、図星…? 先輩、本当のところはどうなんです? 本当に妃依なんかと付き合ってるんですか…? って、あれ? 先輩?」
振り返ったが、そこに居るはずの聡の姿は無かった。
「…先輩…どこに」
妃依も怒りを解き、聡を探す。
しかし、いくら探しても、聡はプールには居なかった。
「…逃げられた」
「やっぱり、あんたと先輩、付き合ってないんでしょ」
紀美江に言われ、妃依は少し意固地になった。
「…好き、って言ってくれた」
「え? それだけ?」
「…わ、私にとっては、大切な事なの」
「あはは、お笑いだわね!! 全く、見かけ通りのお子様なんだから、妃依は!!」
その一言に、妃依の一度収めた怒りが再燃し始めた。
「…うるさい、キスしたことも無いくせに」
「なっ…し、したわよ? さっき、先輩とね」
「…あんなの、認めない」
「そう言う、あんたはどうなの? え? ひよちゃん」
先輩以外の人間にそう呼ばれると、凄く腹が立つ。
「…そう呼んでいいのは先輩だけ、紀美江なんかに呼んで欲しくない」
「ああそう、それより、どうなの? 質問に答えてよ、したの?」
「…したけど」
とは言え、さっきの紀美江と似たようなモノではあったが。
「そ、そうなの、へえ、そう、何だか、凄く腹が立つわね…」
「…奇遇ね、私もそう感じてたの」
二人を取り巻く空気は、負の波動を撒き散らす様に渦を巻いていた。
当然、それに介入しようと思う者は居らず、練習しようと集まってきた他の水泳部の方々は、入るに入れない状態で、プール入り口に立ち尽くしていたのだった。